22. The Back. 

 歩き出すと、アークは必ず隣に並んだ。
 イーシスは、何か言いたそうな目をして、でも、何も言わずに後ろをついてきた。
 アニエスは、二人に言うことなど、何もなかった。


 エレベータで移動して、いきなりゲートが並んでいるフロアへと、二人を案内した。
 まるでモノレールの乗車口のようなゲートに、二人が驚いている。
 イーシスは歩調を緩めずに、ゲートのリーダーに身分証を通す。
 ピッという電子音と同時に名前が……表示されるのが通常なのだが、アニエスの場合は数字の羅列が表示された。
 それで問題ないのでそのまま進む。
 アニエスが何も言わないので、二人もそのあとを追ってカードをリーダーに通す音がした。
 二人の場合はリーダーに名前が表示されるはずだ。

「なんだ……? セキュリティか?」
「ええ、そうよ」
 追いついてきた二人がきょろきょろするのを止めもせずに、窓のないフロアを突き進む。
 なんだか壁ばかりで、たまにドアがある、という感じだ。
 目印のない迷路のような通路をいくつか曲がって、アニエスはひとつのドアの前で足を止めた。
 ドアの脇の操作パネルにすばやく入力する。
 しつこいようだが再び身分証を読み込ませると、ドアが開いた。
 中に入ると……やや、異様な雰囲気に包まれている。
 一歩入ったところで立ち止まり、二人が中に入るのを待つ。
「な……なんだ、ここは……?」
「静かに」
 ドアを閉め、ロックをかける。
 そして壁際に歩き出す。

 その部屋にはニ十人程度のスーツ姿の男女が詰めていた。
 男性のほうが多いが、皆、アニエスたちと同じくらいの年齢だった。
 つまりは、会社で言うと新人ということだ。
 一見すると講義を受けているように見えるのだが、えらく緊張感で張り詰めている。
 講師役は二人いた。
 ひとりは今まさに喋っていて、もう一人は脇で目を光らせている感じだった。
 入ってきたアニエスたちに気付いて視線を寄越す。
 その目を向けられて、アークとイーシスは一瞬どきりとしたが、アニエスはかまわずそちらへと向かった。
 明らかに部外者の三人にも、講義を受けている新人たちは見向きもしない。
 ひたすら講義に耳を傾けている。

 アニエスが監視役の前に進み出ると、先方はちらと後ろの二人を見て、そしてアニエスに頷き返した。
 言葉をひとつも交わすことなく、アニエスは振り返ってニ、三歩後ろにいた二人の前に立った。
「午後はこちらを見学させてもらう。一応言っておくが、私語は厳禁だ」
 そういうアニエスの声は小さく、アニエスの一挙一動に注目している二人だから聞き取れたようなものだ。
 それだけ言って歩き出そうとする。
 が、二人がそろって似たような表情をしたので、アニエスは思わず足を止めて振り返った。
 ……そして、うっすらと笑った。

「そんな顔をするな。時間になったら迎えに来る」

 言って今度こそ歩き出す。
 アニエスは二人を置いて、研修室をあとにした。



 このフロアへは、エレベータでしかくることが出来ない。
 エスカレータはなかった。
 エレベータで階をひとつ移動し、そこからはわざわざエスカレータに乗り換えて移動する。
 一直線に行けばもっと早いが、遠回りして。
 行き先は、七階のカフェテラス。
 窓の外は相変わらず雨が降っている。今日は止みそうにない。

 雨の打ち付けるガラス窓のそばの席に座り、愛用の携帯パソコンを立ち上げる。
 まずはざっと本国の情報に目を通す。
 それからシスカティアの情報。
 例の爆発物についての会見は、予想通りの内容となっている。
 捜査状況も遅い。
 アニエスは表情ひとつ変えずにそれは読み流し、もっと身近な情報をあさる。
 今日は一緒にいない、サラディ・マックスウェルと、もうひとりのグレン・グルード。
 彼らには自分以外の構成員が監視についている。
 あちらはあちらで、今日は別の施設を視察に行っているはずだ。
 その報告書の午前のものが上がっているので目を通す。
 こちらも午前の情報はすでに上げてあるので、午後の予定が順調であることを追加する。
 いまのところ、報告はこれだけだ。

 そのとき、ピッと音がして、メールが新着のマークを灯す。
 なんだろうとすぐに開いてみる。
 開けると……通話がオンラインになった。

『カーロッサか?』
 こちらを確認してくる声は、聞き覚えのないものだ。
「そうだが、そちらは?」
 すぐさまマイクをオンにする。
『東のミラーだ』
 短く名乗られる。
 やはり名は知らないが、つまり、サラディたちの監視についている要員ということだ。
「で、どうした、ミラー?」
 こうして会話する機能は持ち合わせているが、活用することはとても少ない。
『そっちの二人の周辺に、仕掛けは?』
「いや、今見てまわってきたところだが、特にないが」
『ふん。ということはやはり西の仕業か』
 さらりと告げられた言葉は、その内に物騒な内容を隠している。
「……なにか、あるのか」
『あるね。ぞろぞろ仕掛けが』
「……。二人を狙って?」
『二人? 一人じゃないのか』
 まるで、当然のように。
 わかりきったことかのように。
「一人……サラディ・マクスウェルか」
 アニエスは、特に驚きもせずにその名を口にした。

 ねえ、キミってば、アークのともだち?

 サラディは自分を見てそう言った。

 俺、わかる?

 にかっと無邪気に笑って。
 キミってば、アークのともだち?
 そうだよね。俺も。
 そんな声が聞こえる。
 彼は、多分そういうたちなのだ。誰とでもともだちになってしまうような。
 見ていて、そう思った。
 だからこそ。

「だが、ターゲットがマクスウェルなら、仕掛けたのが西とは限らないぞ」
『……はん、なるほど』

 サラディは人がいい。
 誰かに恨まれるようなタイプではないと思う。
 でも、だからこそ。
 彼は、危険なのだ。
 少なくとも、そう思う人間が、行政府にはいる。

『だが逆に、西とは限らないなら、ターゲットがマクスウェル一人とも限らないわけだ』
「そんなこと」

 アニエスは、通信の向こうの相手に向かって、ふん、と鼻で笑った。
 そんなこと。

「今更なにを。充分知っている」

 四人は、四人でいる限り、狙われる対象であることくらい。
 誰だって知っている。
 彼らは……一緒にいてはならないはずの人間なのだから。

『ちなみに今のところ見つけているのは、カード式がほとんどだ』
「まあ、ここは本国とは違うからな」
『連中が首から提げている身分証以外はチェックした。まあ、根気強く仕掛けられていたな』
「……」
 自分だって、彼らと一緒にいて、カード式のチェックは欠かさず行っている。
 それにこのミラーという男とは違って、アニエスは二人の……アークとイーシスの身分証もチェックしている。
 大丈夫だ。
 あれは首から提げているので、直接手にとって調べるのは、顔をあわせるほかない。

『……二人が出てきた。これで切る』
「了解」

 通信が解除される。
 傍受妨害をオフにする。
 まあ、聞かれたところで問題ない内容ではあるが。

 アニエスは時間を確認する。
 館内を少しうろついて、いくらかチェックしてからここへ来たので、時間は随分過ぎているが、二人を迎えに行くにはまだ時間がある。
 もう少し、仕事ができるだろう。
 やることなら、いくらでもある。
 まずは。
 ここから離れた、アカデミアの彼らの部屋のセキュリティに侵入するところから始めた。


 盗聴器はいくつか仕掛けられているようだ。
 が、それらをすべて解除すると、かえって相手を警戒させてしまう。
 火薬の反応はないので、とりあえずそれらは様子見で保留しておく。

 そう何度も爆発物ばかり仕掛けはしないと思うが……カード式、つまり、特定のカードがそこを通ると感知する仕掛けは、先ほどの男が言うには、あちこちにあったそうだ。
 相手も、今日の四人の日程を知っているのだ。
 そしてあえて、東の二人の移動先にだけしかけてある。
 ということは、なにが知りたいのか。
 彼らの日程が順調にこなされているかどうか?
 それとも……仕掛けられていることに、気付くかどうか?
 あるいは、「ロス・クライム」が、動くかどうか……?

 目的は、なんとなくわかっている。
 少なくとも、アニエスはそう思っている。
 それが正しいならば、アークとイーシスは今のところターゲットにはならないだろうが、それも今日明日には、というレベルでしかない。
 いつ、どこになにが潜んでいるかわからない。
 自分は、彼らから離れることはできない。

「舐めないでもらおうか」

 ロス・クライムを。
 ロス・クライムに、生かされている、自分たちを。

 でなければ、生きている意味のない、自分たちを。

 アニエスは何も読み取ることのできない表情でキーボードに指を走らせる。
 モニターには見取り図や、数字の羅列が並ぶ。
 ときどきサインが浮かぶ。
 そこには、人には見えない、裏面が記されていた。
 アニエスはそれを見ていた。
 操作していた。

 彼女もまた、裏面の存在だったから。