20. Inspection. 

 アニエスがそこへ現れると、二人はとても奇妙な顔をしていた。

 事務員が手渡してくれた書類を受け取り、事務的に返事をする。
 館の職員がいなくなっても、アニエスは受け取った書類の中身を確認していたので、二人に声をかけなかった。
 
 ……とても、奇妙な沈黙だった。

「よし」
 小さく、声に出したその一言が、天井に吸い込まれるように響いた。
「二人は今日の予定、知っているのか?」
 書類から顔を上げて、初めて二人と目をあわす。
 思わずといった感じでアークとイーシスが顔を見合わせた。
 アニエスは……ほんの少し、微笑んだ。
「なんだ、その顔は」
「いや……」
 アークが苦笑いしながら近づいてくる。
 イーシスが追いかけてくる。
「本当に君が来るなんてと思ってね」
「わたしが仕向けたんだから、そうなるに決まってるじゃない」
 目の前にたったアークの、首から下がっている館内の身分証明カードを手に取る。
 裏側に目をやると、アニエスの左目が反応して、そこに埋め込まれている情報が浮かび上がった。
 問題なし。
 続いてイーシスのカードに手を伸ばす。
 左手で触れるが反応はない。必要以上のチップも入っていない。
「オーケイ。行こうか」
 さっさと歩き出したアニエスを、二人が後ろから追いかけてくる。
 確かに……この構図は奇妙かもしれない。
「おまえが、仕向けたこと、なのか?」
 イーシスが後ろから訊ねてくるのに、アニエスはまっすぐ前を向いたまま、わずかに頷いた。
「まあ、ちょっと」
 アニエスの足はエレベータホールへと向かう。
「何を? どういうことなんだ?」
 複数あるエレベータの、表示をくるりと見回して、アニエスは一台の前に待機。
 数秒後にドアが開く。
 アニエスが乗り込めば二人も追いかけてくる。
「説明するには背景がいろいろあるから簡単には無理だ。そして全部説明するには不都合が多すぎる。
 二人は知らないほうがいいことのほうが多い」
 エレベータを操作しながらアニエスが答えると、二人からは沈黙が返ってきた。
「ところで、ここの施設がなんなのか、知っているのか?」
 アニエスはかまわず仕事に入った。
 二人だって仕事に来ているのだから、文句はないはずだ。
 個人的なことは後回しにするべきだ。
「民間最大手の造船会社だと聞いている」
 イーシスが、今度はきっちり返事をした。
「まあ正解かな」
「造船会社というイメージとは違ってきれいな場所だな」
 アークの感想にアニエスは頷いた。
「実際工場は別のところにある。ここは本社だから、デスクワークと机上の実験が主なんだ」
「まあ、そうなんだろうね。で、俺たちがここを視察する理由は?」
 アークのコメントにアニエスは二人を振り返った。
「それこそ、聞いてないのか?」
 これに対して二人は顔を見合わせる。
「造船はすなわち物資の運搬の前段階だから、そういう流通が重要と、そういう意図だろう?」
「まあ、大雑把に言えばそうだな。実際、わが国のコンテナ船はほぼアルゴー製だ」
 アルゴーとは、この会社の名前である。
「受注経路はほぼ、西院が握っているしな」
 西院の二人はそうなのか、と少し感心した様子を見せた。
「て、なんでおまえ、そんなに詳しいんだ?」
 もっともというか、なんというか、少し複雑な表情をしてイーシスがアニエスを見た。
 アニエスはちらりとイーシスを見て、けれどすぐに視線をはずす。
 何もない前方を見たまま答える。
「知っているだけだ。だからこうして、二人を案内できる」
「それは……そうだが」

 結局おまえは何者なんだと言われても。
 アニエスには答えようがなかった。
 二人が納得できる答えなんて、持ってはいなかった。

 目当てのフロアに到着して、ドアが開く。
 真っ白の壁がいくつもの部屋を区切っている。
 アニエスはポケットから取り出したバッジを襟につけながら歩き出した。
「知らなくても、ちょっと考えればわかるとは思うが、船というのは受注製だ」
 解説をしつつ廊下を進む。
 同じような部屋が並んでいるが、このあたりは中が覗けないようになっている。
「大型船になれば完成までに数年かかるから、受注の段階ですでに細かいことまで決められている。
 そういった取引をするのがこのフロアだ」
 一室の前で立ち止まると、身分証をリーダーに読み込ませる。
 ぴっと音がして扉が開く。
「二人もカード読み込ませて」
 軽く指差してから入れば、背後からぴっと音がする。
 二人が入るとドアは閉まり、自動でロックがかかった。
 そこはコンピュータの制御室のようだった。
「各個室の様子だ。今現在も進行中の発注作業が行われているけれど、内容を見学はできない。顧客も極秘だ。大きな金の動く客商売としては当然だな」
 使用中のランプの多さに、二人は軽く驚き、視察向けに用意されているモデルを興味深そうに覗き込んでいる。
 部屋には船の模型も置かれていた。
 アニエスは本国とこの国の移動にはもっぱら空路を利用するので、実はあまり船に乗ったことがないのだが、この精密な船の模型を見ていると、まるでよく知っているかのように知識だけが蓄積される。
「すごいデータだが……一隻の船にこれだけ必要なのか?」
 ぼんやりと模型を眺めていたアニエスの背中に、イーシスが声をかけた。
 ふりかえると二人はそろって数字のびっしり敷き詰められたファイルを覗いていた。
「一隻に、というか。目的に応じて船型を決めるだろう? その目安だ。
 安価に運ぶのか、早く運ぶのか。ひとつを特化させればなにかを妥協しなくてはならない。
 発注者の要望がどういうものか、受注者は的確に読み取らなければならない。
 注文内容もだが、要望どおりにするにはコストもかかる。予算内で最大限の希望をとおさなければならない。
 だからそういうモデルがそろえてあるのさ。
 個性を出すといってもデザインならひとつひとつ目新しく出来るが、基本の性能は一朝一夕には変化しない。
 なにも船に限ったことではないだろう?」
「ああ……なるほど、そうだな」
 アニエスは振り返って、いくつか説明を付け加える。
「こちらはもちろんプロだが、発注者はそうではない。使用目的、頻度、航路や入港予定地を元に、提案していかなければならない」
「航路や入港予定地?」
 ふと、二人の視線が壁の航海図を向く。
「船を作ったはいいが、肝心の取引先の港に入港できなかったら意味がないだろう?」
「なるほど」
「港は自然にあわせて造られている。なら船はその港にあわせなければならない」
 港と船の関係は、組織と人間の関係に似ている。
 どんなに有能な人間でも、その組織にあわなければ使い物にならない。
 目の前の有能な人間に、たいして有能ではないアニエスが説明しながら奥へ進む。
「コンピュータによるシュミレーションや、実際に模型船を作って詳細を詰める。
 デザインとか、船内の配置なんかもここで決められていくそうだ」
「……そうだ?」
 アニエスの言葉にアークが軽く首をひねる。
 それに対してアニエスは苦笑した。
「そういわれても。結局はわたしはここの人間ではないし」
「あ、そうか。ごめん、詳しいからつい」
「詳しいといっても、資料を読めばわかることをそれらしく言っているだけだ。
 二人が資料を読む手間が省けたくらいの気持ちで聞いてくれるとありがたい」
 模型のそばにソファがあって、熱心に資料と解説パネルを見ている二人を尻目に、アニエスは一足先にソファに沈んだ。
 二人掛けのソファがくの字に二台置いてある。
 ふと、思い出したようにアニエスは手持ちの携帯コンピュータを広げる。
 分刻みに更新される、あらゆる情報をざっと斜め読みする。
 特に気にする情報はないようだ。
 シスカティアの調査隊の進行状況はあまりよくない、というくらいか。
 仕掛けられていた爆発物の型は発表になっている。
 アニエスが無表情に画面を見つめていると、とさっと隣に人が座った。
 気にせず画面を見続け、用が終わってからパソコンを閉じる。
 顔を上げると、アークが向かいのソファに腰を下ろそうとしていた。
 なんとなく、隣にいるのがアークかと思っていたので、あれ、と思って隣を確認する。
 ここには二人しかいないのだから当然だが、アニエスの隣にはイーシスが足を組んで座っていた。
 アニエスのほうなど見ずに手元の資料を繰っている。
「ん? 移動するのか?」
 アニエスの視線に気付いてイーシスが目を上げた。
「え? ……いや。この奥にもう少し展示資料があるが、それだけだ。
 午前中はここの視察のみだから、自由にしてくれてかまわない。
 もういいというなら、移動でもいい」
 答えると、ならばもう少しと言って、イーシスは資料に目を落とした。
 しばらく静かに資料をめくる音だけが響き、ふいにアークが立ち上がると、目当てのものを探しに歩いていって、ああそうか、とひとりで納得していた。
 アークはアニエスのことを詳しいと言ったが、これだけ真剣に資料に目を通した二人は、きっととっくにアニエスの知識を越えているのだろうな、と思った。

 アニエスは、別に優秀でもなんでもない。
 この二人とは違うのだ。

 少し先を行っているように説明できたのも、初めて足を踏み入れた二人と、何年もロス・クライムで鍛えられていたアニエスの、ほんの少しの差からでしかない。

 まあ、今回は、役に立てたみたいだから、よしとするか。

 頭の中で午後の予定を反芻しつつ、自分の雑用のような任務を反芻しつつ、アニエスは特に何をするでもなく座っていた。
 そんなときでも、表情にはなにも浮かんでいなかった。
 アークが振り返ったときも、イーシスが盗み見たときも、アニエスの表情はいつも同じだった。
 そう、喋っていた間もずっと……同じだった。



 真実にモザイクかけて
 裏腹な色に塗りたくれ
 理想的ビジョンが見えたら
 現実を換えていくだけ



 アニエスに、色なんてなかった。
 かといって、真っ白でもなかった。
 むしろ……真っ黒なのだ。
 だから、上からどんな色を塗っても、濃くなっていくだけ。
 それでも塗りたくって、そしていつか、ビジョンが見えるのだろうか?
 現実を、換えることは出来るのだろうか?

 そんなことは、必要なのだろうか?