15. Darkness. 

 その話を聞いたのは、夕食を終え、心地よい疲れに身を沈めたときだった。
「爆発物?」
 サラディが不審な単語を口にしたので、イーシスはなんだ、と振り返った。
 やや能天気な同僚は、ローテーブルにコンピュータ端末を乗せ、そこに映し出されたニュースを覗き込んでいた。
「ニュース? なんだ?」
 アークも気になったのか、サラディの肩越しに覗き込む。
 イーシスも近寄ってみた。
『今日午後三時ごろ、アクアヴェイル区を通過中のロイヤルレールにて、突然爆発が起こり、乗客七名が負傷する事故がありました』
 ニュースの中で読み上げられている内容に、思わず三人が顔を見合す。
 そこへグレンも寄ってくる。
「爆発か……そういえば、先週、僕らの行政府でもそんな話があったね。
 おっと、君がいたところだったっけ、サラディ」
「なーんかさあ、他人事みたいに言うよね、あんたって」
 それは事実だが、さすがにあの事件と、海を隔てたこの国の事件が、関係があるとは思いづらい。
「ロイヤルレールというのは、今日僕たちも乗った、あれだろう?
 一般市民には乗れないのか。ということは、目標はあるにしろないにしろ、無差別じゃあないってことだね」
 冷めた目で言うグレンに、アークが、だが、と付け加えた。
「ロイヤルレールっていうのは、どこも高いところを走っているんだろう?
 それに爆発物なんて。その下にいる人に被害が広がる可能性もある」
「そりゃそうだろうけどさ。爆発物仕掛けようなんて考え付く人間が、そこまで気を配るもんか」
 繰り返し同じ原稿を読み上げるニュースに飽きたのか、サラディがチャンネルを変えつつ言った。
「まあ……そうか」
「それより、それを未然に防げなかったほうを気にしろ。あんなに警備員がうろついていたのに、まんまとしてやられたってことだろうが」
 昼間乗ったモノレールを思い出す。
 ロイヤルレールはある程度の身分証明がないと乗れない移動手段らしい。
 その分、警備も厳重だと聞いたが。
「確かにね」
 チャンネルをいくつか探していたサラディだが、とくに目新しいこともないと思ったのか、まもなく電源を落とした。
 明日の時間を確認して、グレンは一足先に休むといって自分に与えられた寝室へと引っ込んでいった。
 サラディがそんじゃ、と冷やされたブランデーを取り出したので、つき合わされるのも面倒なのでイーシスも退散することにする。
 その部屋は談話室として自由に開放されている場所だった。
 同じような部屋がいくつか並んでおり、行政府の関係者の姿があちこちに見える。
 イーシスは自室に戻る前に、再び施設のエントランスのある三階へと足を運んだ。
 夜なので人はいないが、カウンターにはゆるく灯りが点っており、呼べば人が出てくるのだろう。
 暗いエントランスの待合用のソファを迂回し、全面ガラス張りの壁へと進む。
 そして、見下ろす。
 向かいの建物は三階と四階がモノレールの乗り場になっていて、その階下は一般企業がはいっているそうだ。
 企業の名前も目を通したが、知っているものではなった。

(あいつ、だったのか……?)

 彼女に見えた。
 あのシルエットが立っていた場所に目を向けるが、当然そこには姿などない。
 ただ、その窓の奥は明かりがついているらしく、なんとなく明るかった。
(一般企業か……)
 やはり、ただの見間違いか。
 髪の長い女くらい、いくらもいるだろう。
 午後の休憩で、窓際に立っていたって、別におかしなことではない。
 自分は何を考えているんだろう、とすこし馬鹿らしくなり、イーシスは視線を外した。
 目を転じれば、背の高い建物の間に、ふと、小さな公園があるのに気付く。
 といっても、景観のために作られたようなやたら綺麗な場所で、あるいは近づけても中に入れないのかもしれないと思った。
 この宿舎の前の道からまっすぐ行けば、すぐのわき道から入れるようだ。
 車道を車が走っていく。
 一瞬向けられたライトが何かを照らしたが、少なくとも人影ではなかった。

 イーシスはガラスに背を向けた。
 夜の散歩と洒落込むか。
 軽い気持ちで歩き出した。


 モノレールが発達しているからか、道を通り過ぎる車は数が少なかった。
 宿舎からその公園らしきところまで、歩いて数分の間に、頭上をモノレールがいくつか通り過ぎた。
 ちら、と見上げながら、あのたった一本のレールでぶら下がっている乗り物で、爆発が起こったらどうなるのだろう、と考える。
 負傷者が何名かと言っていたが、死傷者とは言っていなかった。
 事件があった場所はここから近いのか遠いのか、よそ者の自分にはよくわからなかったが、そのためにモノレールが封鎖するとか、そういう事態にはなっていないようだ。
 目当ての目的地に続くわき道を見つけて足を踏み入れると、頭上でローカルレールが一本通り過ぎた。

 白い石の階段が続いていて、段差に花が植えられている。
 人工物ではなく、あくまで本物らしい。
 やたらとガラス張りの好きな街並みにあって、土の匂いが不自然なくらい新鮮だった。
 どうやら上から見えていたのは、この場所のほんの入り口だったらしく、ステーションビルの反対側まで、この公園は続いているらしい。
 あるいは市民の憩いの場なのかもしれない。
 いや、それにしては綺麗過ぎる。
 やはりただのシンボルか。
 それともこのあたりには、公園で憩うような人間がいないのか。
 宿舎のビルから見るとステーションビルの裏側に回ったあたりで、小さなプールのような池があるのが見えた。
 中央には噴水らしきものもあるが、とりあえず今は水は出ていない。
 水辺はたったひとつの灯りでライトアップされていて。

「……?」

 人の気配がした。
 だが、やたら静かだ。
 灯りのある反対側らしく、暗闇の中に人がいるらしい。
 じり、と地面を踏む音と、わずかに布がこすれる音。
 イーシスは足を止めた。
 嫌な可能性を思いついて少しだけ眉をひそめる。
 つまり、ここで恋人が密会しているかもしれないと思ったわけだ。
 誰もいない暗闇は、彼らには都合がいいかもしれない。
 が、自分にはかなり都合が悪い。
 ここは引き返そうか、と踵を返しかけたとき。

 たん、と地面を蹴るような音がした。
 それからすとっと着地する音。
 けれどどちらも小さな音で、音の通り人がジャンプしたようには思えなかった。
 だいたい、人の気配が……。

(……!)

 イーシスは暗闇に目を凝らした。
 引き返そうとした足で、人がいそうなその場所へと歩き出す。
 イーシスがずんずん歩いていくと、向こうがその気配に気付いたらしい。
 動きを止めた。
 そうだ、恐ろしく気配が薄いが、そこにいた人物は……。

「……イーシス?」

 驚いた声音で、名を呼んだ。

「アニエス……!」

 動くものが見えたのだ。
 髪だと思った。
 長い髪。黒い色は闇に同化し、なのにどうしてそれが自分には見えたのかわからないけれど。
 きっと。
 それを探していたから、と、思う。
 近づけば、昼間見たスーツではなく、黒っぽい私服、なんというのだ、そうワンピースを着ていた。
 振り返ったような立ち姿の彼女は、ほんの少し息が上がっているようで、よく見れば髪も少し乱れている。
 イーシスを見て驚いたような表情をしている。
 いつも無表情の彼女しか知らないから、それはとても生き生きとしていた。
 イーシスに向き直ったアニエスは、ふっとひとつ息を吐き、それで息を整えた。
 瞬時に表情が消えた。
 目の前にいるのに、存在が消えたような、そんな感覚がした。
 それはつまり……いつものアニエスに戻ったと言うことだ。
 ちら、と周囲に視線を向けると、ベンチにかばんと上着が置いてある。
 おそらく彼女のものだろう。
 アニエスはここで……踊って、いたのか……?

「こんなところで、何をしている」
 声をかける。
 が、返事はない。
 わずかに首をかしげたようにも見えたが、あるいは、首を振ったのかもしれない。
「女がひとりで……。危険だろうが」
「大丈夫。誰もいやしない」
 今度はすぐに返事がある。
 妙に確信めいていて、そうなのか、と納得させられる。
「いや、だが」
「大丈夫だ。そういうあなたは」
 イーシスの言葉を遮って、アニエスは歩き出す。
 ベンチに近寄り、タオルで汗をぬぐいだす。
 用意してあったらしい。
 ということは、気まぐれで踊っていたのではないのか。
「上からここが見えて。公園かなにかかと」
「あそこから見えるのか?」
 少し興味を持ったのか、アニエスがちらと振り返る。
「いや、入り口が見えるだけだ。意外と大きくて驚いた」
「なるほど」
 差しさわりのない会話を交わす。
 イーシスはどこから見たとも言っていないが、アニエスのことだから、イーシスのいる宿舎のことくらい、知っているのだろう。
「おまえ、仕事でこっちに来ているのか」
「ああそうだ」
「いつまでいるんだ?」
「聞いてどうする」
 つれない答えだ。けれどそれも今に始まったことではない。むしろ今日はよく喋ってくれているともいえる。
「おまえの職場はこの近くなのか」
 すると、アニエスはなにかおかしかったのか、おもわずといった感じでくすりと笑った。
 表情の変化の乏しい彼女にしては珍しく、明らかに、笑った。
「ああ、そうだな。この近くだ」
「もしかして、おまえもあの宿舎に泊まっているのか?」
「いや、違う。部屋はここからは離れている」
 そしてアニエスは置いてあった上着を羽織った。
 手で軽く髪を梳き、かばんを手に取った。
「なので、そろそろ帰ることにする」
 まるで邪魔が入ったから退散するとか、そんな感じに見えた。
 本当にそのまま歩き出そうとするアニエスを、イーシスは急いで追いかける。
 並んで歩いても、アニエスはなにも言わなかった。
 イーシスが来たのとは反対に歩き出す。
 目的地はどうやらステーションビルらしい。
「帰る、というと?」
「……それは何を答えればいいのだ? 自分の部屋にだが」
「ああ……交通手段は?」
「この街ではそれは普通、バスかローカルレールだな」
 アニエスは表情を変えず、前を見たまま答える。
「ローカルレールに乗るのか?」
「もちろん。わたしはあなたと違ってロイヤルには乗れない」
 そうなのか、と思う。
 なんとなく意外だ。
 ステーションビルに入るとアニエスは迷わずエスカレータに向かう。
 追いかけていくイーシスに向かって、少し首をかしげた。
「いや、待て。どこまでついてくるつもりだ」
「じゃあなんだ。俺をおいていくつもりだったのか、おまえは」
 とりあえず一緒にエスカレータに乗り込みながら少し顔を近づける。
「……」
「いいから送らせろ。ここから遠いのか」
「……遠慮する」
「どうして」
「わたしなら一人で大丈夫だから。あなたこそ慣れない場所でふらふらしていると迷子になるぞ」
 ローカルレーンの乗り場は三階だ。
 ロイヤルレーンの乗り場に似てはいるが雰囲気の違うその場所に、きょろ、と周囲を見回す。
「馬鹿にするなよ」
 切符を買えるところはあれか、と目星をつけて歩き出す。
 が、アニエスはその行く手を遮った。
「イーシス。本当に。いいから……ここまで来てくれて、ありがとう」
 言葉を選んで、慎重に、自分を追い返しているのだと思った。
 彼女はここで切符を買う必要はないらしく、イーシスが諦めた様子を見せると、そのまま改札口に向かう。
「アニエス」
「うん?」
 名を呼べば、振り返ってくれる。
「今日、モノレールで爆破事故があったらしいぞ。危なくないか」
「ああ、あれか。それなら大丈夫だ」
「だが原因も不明だと言うじゃないか」
「そうだな。解明には少し時間がかかるかもしれないが。それを心配してくれたのか」
 なるほど、とアニエスは納得顔をする。
 それからもういちど、大丈夫だ、といった。
 自信がある、というのとは少し違ったが、まるでイーシスが知らないだけで、彼女にとっては当然のことを言っているようで、それを理由にはもうなにも言えなかった。
「確証があるのか……?」
「さあな。あれで終わりかどうかは知らないが、少なくともわたしの帰り道にその要素はなから、無用の心配だ」
 やはり彼女は何か知っているのだ。
 安心していいのかどうなのか、イーシスとしては複雑ではあったが。
 イーシスはもっともっと話したかったが、話せば話すほど、彼女の知らない部分が浮き彫りになって、だから、また、名を呼んだ。
「アニエス……」
「どうした? ここへ来てまだ一日目なんだろう? 何を心細くなっている」
 アニエスがにやりと笑って見せた。
 わざとらしい表情だったが、彼女なりになにか気を配っているのかもしれないと思った。
 そう思う自分は、やたら冷静だな、と心の隅で思ったりもした。
「そうではない。おまえ、明日もこの辺にいるのか?」
「さあな」
 アニエスの返事はいつもつれない。イエスでなくとも、ノーとも言わない。
 イーシスに知られたくないからなのか。
 暗闇に解けそうな少女は、改札へ向かう。
 ポケットからチケットのようなものを取り出して改札を潜り抜けていく。
 彼女は住まいからここまで通っているのかもしれない、と思った。
「イーシス」
 彼女が名を呼んだ。
 アニエスの後ろにローカルレールの車両が滑り込んできた。
 乗客は多くはないが、まったくいないこともない。
「気をつけて帰れ」
 イーシスに声をかけると、返事も待たずに車両に乗り込み、彼女を待ち構えていたように扉は閉ざされた。
 発車の合図がして、モノレールは動き出す。
 その中のアニエスと、一瞬目が合ったような気がした。
「気をつけて帰れ、だと?」
 降りた客はいなかったらしく、ロビーに人はいなかった。
 イーシスはくるりと身を翻す。
 ここから宿舎へ帰るには、もと来た道を辿って一階に降りるしかないらしい。
 そんなこと別に手間でもなかったが。
「それは俺の台詞だ、ばか者……!」
 歩きながら、思わず呟いた。
 彼女がここで何をしているのか。
 やはりわからなかった。
 闇の中に佇む彼女は、やはり、闇でしかなかった。