14. Organization. 

 四人の姿が見えなくなっても、アニエスは窓際に立ったまま、ぼんやりしていた。
 いや、けっしてぼんやりしていたわけではない。
 考え事をしていただけだ。

 ここは通称「アカデミア」の、ステーションビルだ。
 上階には、この街のシンボルともいえるモノレールが走っている。
 そして目の前には、行政府の宿舎があった。
 イーシスたちのような研修目的のこともあれば、国家間の会議や交渉の際に、行政府の要人が宿舎としても議場としても利用することがある。
 この国の特徴と言うか方針と言うか、イメージ戦略のひとつで、大掛かりな建物はだいたいガラス張りになっているのだが、その建物も例外ではなかった。
 警備員はぞろぞろいるが、窓越しに覗き込むのはさほど難しくなかった。
 その美しく大きな建物を目の前にして、アニエスは、もっとも簡単な監視を行っていた。
 つまり、窓際に立って、見えるところにいるターゲットを確認する。
 それだけだ。
 アニエスの監視対象は、要人用のモノレールに乗ってこの上階に到着し、これも要人用のスロープで上空を渡り、そして彼らの宿舎に到着した。
 中に入ってしまうとさすがによくは見えないが、今日のところはここまでで充分だ。
 このあとの彼らの予定は、あのやたら大きな自国の宿舎内の見学のはずだ。
 宿舎とは言うけれど、それはそれは大きな研修施設なのだ、あそこは。


「カーロッサ」
 背後から声がかかる。
「……はい」
 任務中に声をかけられることはあまりなく、なんだろうと振り返る。
 この、監視には絶好の立地条件を満たしたステーションビルの二階は、表面的には一企業のオフィスになっている。
 が、その実態は、「ロス・クライム」の拠点のひとつだ。
 ここにいるのは皆同じ仕事をしている影の存在。
「おまえの予定はこのあと空いている、というのに、相違ないか?」
「……はい」
 なんだろう、と疑問に思いつつ、返事をする。
「では協力を要請する」
「は。どのような」
 窓際から離れ、直接ではないものの、上官に向き直る。
「第二緊急体制に入っている」
「は? なにが……?」
 それはつまり、何かが、事件だか故意の事故だかが、起こりそうだと予知された、ということだ。
 知らなかった。なにが起こっているのか。
 名も知らない上官が、軽く合図する。
 その後を追って歩き出す。
 個室を出て、センターホールへ入ると、意外と多くの同胞がざわついていた。
 揃いのダークグレーのスーツを着ているものもいるし、アニエスのように私服のスーツを着ているものもいれば、もっとラフな格好をしているものもいた。
 けれど共通しているのはその雰囲気。
 どこか、感情が読み取れない。
 同じ訓練を受け、資格を得て、この場所にいる、同僚。

 ホール中央に複数の電光掲示が流れている。
 なにかの取引のようにも見えるが、これはすべて、情報が更新されているのだ。
 それをちらりと見て、欲しい情報の周波数を確認する。
 左耳を軽く二度弾く。
 ピピッという小さな電子音がして左目の前にスクリーンが現れる。
 そこに無数の文字と数字が流れ始める。

(……仕掛け、爆弾?)

 このざわめきの元凶を読み取り、けれど、困惑する。
「カーロッサ、こちらへ」
 呼ばれてそこへ向かう。
 同じようなブースが並んでいるが、どこの端末も、複数の同僚がひっきりなしにキーボードを叩いている。
 コンピュータのスクリーンを覗き込む。
 暗号化されたデータが大量にファイリングされている。
 それを見るなり、アニエスはするりと椅子に滑り込んだ。
「解読すればいいんだな」
「そうだ。できそうか」
「ああ」
 そしてアニエスの指が踊りだす。

 ロス・クライムのメンバーは、基本的な情報交換は常に暗号化して行っているので、それらを解読するすべは皆持っている。
 が、誰もがすべての暗号を解けるわけではない。
 ロス・クライムにも「専門職」がある、というところか。
 アニエスがその暗号を紐解き上書きしていく。
 同時に別の箇所が別の誰かによって上書きされていく。
 いま周辺にいる同じ知識を持った仲間が、一斉に同様の作業を行っているのだ。
 そしてアニエスたちがやっているのは、単純に記号を記号に置き換える作業であり、ここで解読された文章を読み解くのはまた別の誰かだ。
 解読の終わったファイルはすぐに転送され、アニエスの目の前から消えていく。
 情報網の上に成り立つバケツリレーのようなものだ。
 ひたすら記号の置き換えをこなしているアニエスの耳に、出動要請の声がなんとなく届く。
 解読された情報を元に、人が動かされている。
 このホールがざわめきに包まれているのは、なにも人が大勢いるからではない。
 人が話しているからではない。
 情報が飛び交っているからだ。
 キーボードを叩く音が、途切れることなく響き渡る。

「現地の監視班は……」
「各国の動向は……」
「……シスカティアに動きは……」

 声が聞こえる。
 情報が耳元で交錯する。
 左耳に埋め込まれた通信機は、周波数を合わせると電波を拾って直接耳の中に音を響かせる。
 
(ローカルレールを狙うのか……?)
 暗号解読をこなしつつ、耳元の情報を途切れ途切れに聞き取りつつ、アニエスは現状をなんとなく把握する。
 どこかに、爆弾が仕掛けられている、らしい。
 それもひとつではない。
(いや、違うな……ローカルじゃない、ロイヤルだ)
 ターゲットはなんだ。
 仕掛けられている場所が、どうやらこの国の新しい象徴である、立体交錯のモノレールらしいことはわかった。
 が、モノレールと言っても今では随分と路線が多い。
 一般人でも料金を払えば利用できるローカルレールと、要人のためのロイヤルレール。
 それから荷物を運ぶためのものが隙間を埋めるように張り巡らされている。

「本国からシスカティアに入国している人間の居場所の把握、急げ」

 イーシスたちは。
 アニエスはふと思い出す。
 自分があの四人を監視しているように、この国に入国した行政府の人間には、ほぼ例外なく監視がついている。
 それはなにも監視しなければならないような人間だから、ではなくて、このような緊急事態の際に、居場所の確認が速やかにできることや、危険な場所への立ち入りをすばやく制止できることが理由だ。
 解読作業はほぼ終わった。
 いま少し残っているが、アニエスは立ち上がった。
 ブースを出て、別のブースに向かう。
 向かいの建物、行政府の宿舎の内部を探る端末に取り付く。
 頭に入っているキーを入力すれば、監視対象の四人の入室記録や移動記録が現れる。
 彼らは今、宿舎内のモニタリングルームにいるようだ。
 あの部屋には、ここには劣るが、シスカティアの要所を監視、もとい、すぐに通信が繋がるようなシステムが配備されている。
 それを見学しているのだろう。

 まもなく爆弾の仕掛けられた場所がすべて表示された。
 単純な仕掛けが多いが、その数全部で二十数個もあった。
 が、要人の動きを止めるより、爆弾そのものを無効にしたほうが早い、という結論が出たらしく、その二十数個のうちのいくつかに対して、ロス・クライムの爆薬処理班が出動命令を受ける。
 二十数個すべてではないのは、対象にならなかった爆弾のそばには、自分たちが守るべき人間がいないからだ。
 シスカティアの不祥事で、シスカティアの人間が被害を被ろうと、ロス・クライムには関係ない。
 そこまで面倒を見てやる必要は、まったくない。
 ロス・クライムが存在している意味は、もっと単純明瞭だ。

 自国のため。

 守りも攻めもするけれど。
 それはすべて、自分たちのためなのだ。
 そこに生きている人間すべてを守るほど、彼らの手は大きくはない。

 監視用の端末の前で、全体に映し出される処理班の状況を眺める。
 近いところから順に解除されていくのが見て取れる。
 危険地域に足を踏み入れようとしている自国人には、足止めがなされる。
 けれど、街の様子そのものは、いつもと変わりない。
 人々は普通に生活し、ローカルレールは人を運び、危険地域の下を通過する。
 そして解除された後も人々は何も知らずに日常を営み続けるのだ。
 その場所がとても危険だったなどと、人は知らずに生きていく。

 それで、いい。
 そのために、ロス・クライムのような組織はある。

 おそらくほかの国にもあるのだろう。
 ロス・クライムが解除目標にしていなかったボムが突然解除されても、誰も驚かない。
 どこかに、それを都合の悪いと思った人間が、組織があったなら、やはり同じように解除するだろうから。
 そうして、世界はいつも、平和に見えるのだから。
 表面的な平和を保つことは、重要なのだから。

「第四部隊第六班、収容完了」
「第四部隊第八班、解除作業完了、収容作業に移る」
「第……」

 入ってくる作業過程を聞き流しつつ、アニエスは時折、思い出したように手元の画面を見る。
 街では裏の勢力がせめぎあって、爆弾を仕掛けたり解除したりと暗躍しているなんて露とも知らず、新人議員四人は施設見学を続けている。
 彼らには今このときも、そして事態が収集した後も、いま起こっている出来事が伝えられることはない。
 そう、多分、自分が話して聞かせてやる以外は。
 そして自分は伝えるつもりなどない。
 だから、知らずに通り過ぎるのだ。
 ほかの誰もと同じように。

「解析班、作業に入れ……」

 早いチームは解除した爆弾を持ち帰り、解析に入ったらしい。
 入手経路はどこか、とか、仕掛けたのはどの組織か、とか。
 アニエスには、あまり関係ないことであればいいと思う。

「第四部隊第五班、収容完了」
「全対象、収容完了」
「残存の危険地域への接近監視厳に!」

 そして。

 そばにある危険は解除して。
 離れた危険には近づかないようにして。
 二十数個あった仕掛けのうち、ロス・クライムが解除したのが八箇所。
 自分たち以外の組織が解除したものが十数箇所。
 そして危険を嗅ぎ取れなかったのは。

 どうやらシスカティア自身だったらしい。


 カウント、ゼロ。


 映し出されていた映像が一瞬乱れた。
 ここからはやや離れた場所のモノレールが、空中で火を噴いた。
 ブルーラインともロイヤルラインとも呼ばれる、身分証明書がないと乗れないモノレールだ。
 突然の出来事に、街を歩いていた人が悲鳴を上げる。
 ふってくるものから逃げようと走り出す。
 あるいは呆然と見上げる。
 あるいは、何事かと集まる。

「……作動したのは、この一箇所だけか」
 誰かが言ったのが聞こえた。
 その一箇所には、シスカティアにとっては残念なことに、自国民以外の要人が、誰もいなかったということだ。
 被害にあったのは、シスカティアの人間のみ。
「まあ、念のため、監視班は各人の生存チェックを」
「了解」
「了解」
 わずかに緊張の緩んだセンターホームで、簡単な作業が繰り返される。
 アニエスも、今一度あの四人の居場所を確認する。
 彼らは当然何も知らず、相変わらず隣の建物にいる。
 それが、当然なのだ。
 当たり前なのだ。
 彼らが知ることと言えば、不運にも爆発してしまった一箇所のことを、あとでニュースで耳にするだけだろう。
 そして地元のメディアが報じるまま、ほかに同じようなことがないか、これからの動向に少しだけ関心を寄せるだけだろう。
 
 それで、いいのだ。

 アニエスは四人の生存確認を報告すると、立ち上がった。
 もうこのブースには用がなかった。
 そしてこのホールにも、用がなかった。

 緊急情報の周波数を解除して、通常モードに切り替える。
 この後の予定は特にない。
 四人の予定も、外に出ることにはなっていないから、誰かが気まぐれに散歩にでも出たときに、危険がないように周囲の警備に穴がないかチェックするだけだ。
(監視と言うよりは、警備だよな、この仕事)
 アニエスはホールを後にした。
 どこか遠くでは、ちょっとした惨事が起こっているであろう空の下。
 死傷者が何人とか、そんな情報は今のアニエスには必要ない。

「……今日は天気がいいな」

 明るい日差しを壁と言う壁のガラスが反射して、必要以上に明るい街を、アニエスはひとり、歩き出した。