10. Warning. 〜Red 

「やっぱさ。なかなかうまくはいかないんだよね」
 東院を訪れたアークは、サラディの第一声に、うん、と小さく答えた。
「まあ、わからなくはないけどな」
「だから俺たちがやるんだ、ってイーシスならいいそうだよね」
 計画を進めている当事者のはずのふたりは、なのに客観的に事態を見つめていた。
 もちろんそれが出来るから、ふたりは新米議員としてここにいるのだけれど。

「もちろん今すぐ変えていくなんて無理だから、俺らの世代で……どうした?」

 テーブルの向こうでサラディがきょろきょろし始めたので、アークは言葉を止めた。
 言葉の調子は軽いが、サラディは人の話を聞かないようなやつじゃない。
「なんか、さ……」
 そわそわと、部屋を見回す。
「ヤバくない?」
「なにが?」
 わからない。何を言っているのか。
「ホラ、さ。あのときと、同じ感じがする」

 言うなり立ち上がったサラディは、恐る恐る入り口のドアに目を向けた。
 アークがその動きを目で追う。
 ドアパネルを覗き込む友人に、まさか、と思う。

「――マジかよ」

 静かに上がる、驚きの声。
 いつもの大仰な感じではなく、本当に予想外に驚いたのであろう、地の低い声でサラディは呟いた。
 が、振り返った瞬間、いつもの彼に戻る。
「ちょ、な、アーク! これ、どーやって解除するの!」
 それはそれでいつものサラディの驚き方で、アークはパニックになることなく、立ち上がった。
 早足にそこへ向かえば、確かにあのときと同じ、赤いランプが点いている。
 セキュリティシステムなどには強いアークではあるが、こんな。

「パネルに埋め込まれているものを、工具もない今の状況で、解除するなんて……。
 俺には手の出しようがないよ」
 冷静にともとれる口調で呟くが、アークだとて焦っているのは同じだ。

 目の前に、時限爆弾が内蔵されている。

「え、マジで! どうしよう、アーク、逃げ場ないよ!
 あのときの彼女、こういうときには助けてくれないの?」

 サラディの発言に、アークは全身を強張らせて振り返った。
 普段の彼からはかけ離れた動揺に、同僚ならきっと不審に思っただろうが、その場に同席していたサラディは、仲間の反応に気を配れる状態ではなかった。

 あのときの、彼女。
 それは、大切な幼馴染み。
 否、アークが大切に思っていただけの、幼馴染み。

 アニー。
 アニエス……アニエス・カーロッサ。

 アニーは、あのときどうしてあの場所にいたのだろう?
 あのときどうして現れた?
 そして……こんなものを解除することができた?

 赤いランプが点る。
 見覚えがある。
 そして、カウントダウンの光。

「うわっ! やばいよ、アーク。逃げるのがムリなら隠れよう!」
 言うなりソファとテーブルを動かそうとする。
 防護壁があったほうがいいと言ったのは、あのときの自分。
 でも、アークは今、ソファを盾にしているサラディを前に、それに手を貸すことができなかった。
 あのときも、そうした。
 それしか方法がないと思ったから。
 そして今も、それしか方法はない。

 ……本当に?

「アーク、おまえ手伝えって! それとも……あの子を、呼べんの?」
「え……?」

 サラディの言葉にアークが呆然とする。
 まさか。
 アニーを呼ぶ?
 そんなことが出来るのか?
 アニーなら、この場をどうにかしてくれる?
 でも……どうやって?

 口の中が乾く。
 目の前で電光の数字が小さくなる。

 たしか、天井に向かって呼んだ。
 イーシスは、呼んだ。
「アニー……!」
 どうして、イーシスはアニーを知っていた?
 アニーならなんとかできると、なぜ、知っていたのか?
「……アニエス!」

 名を、呼ぶ。
 大切な名前。
 忘れたことなど、ない、名前。

「アニー! 俺……アークだ! 聞こえないのか?」

 あれは、アニーだった。
 そしてアニーも、アークのことを、わかった、と思ったのに。

 赤いランプがカウントする。
 サラディが駆け寄って、アークの腕を掴んだ。
「アニー……!」
 何のために彼女を呼んでいるのか。
 もはやアークはよくわからなくなっていた。
 ただ、その名を繰り返す。
 あの日から、ずっと、くりかえしている。
 そして返事は一度も返っては来ず。

 激しい破壊音に、アークの思考はホワイトアウトした。



 アラートが、鳴り響いている。

 原因は明らかだが、だからといってどうすることも出来なかった。
「おいアーク、大丈夫かよ」
 隣から声がかかって、アークは抱えていた頭をもたげた。
「ああ……なんとかな」
 アークは意外と冷静に、その声に答えた。
 大丈夫だ。
 サラディが作った自前の防護壁の後ろにアークを押し込んでくれたから。

 二人並んでバリケードの陰から頭を出せば、そこはすでに、見知った議員控室ではなかった。
「うわっ! 派手だね、こいつは!
 なに、証拠隠滅かなんかかな?」
 自分の身に危機が迫っていたとは思えない、軽い調子でサラディがおどけてみせる。
 通路側の壁は完全に崩落して、おそらく廊下も埋もれているものと思われた。
 一番端の部屋だったのだが、外側の壁も一部崩れて外部が見えている。
 二階とはいえ、近づくと危ないかもしれない。
 そして隣接しているはずの隣の部屋との境の壁も、半分以上崩れていた。
 両側にあっただろう書棚が折り重なり、向こう側は見えないが。

「けど、ここから出られないのに変わりはないね」
 ソファの陰から這い出たサラディが、跡形なく吹き飛んだ扉に近づく。
「ああ……そして救出も来ないが」
「この場合、それがいいのか悪いのか」
 アークも這い出して、顔を見合わせ肩をすくめる。
 西院所属のアーク・サリオンが、こんなところにいては、糾弾は免れない。
 東院はどうも西院を激しく嫌っているから。
 サラディは瓦礫を覗き込んでいたが、アークは天井を見上げた。
(壁が、これだけ崩れているのに、どうして天井はこげているだけなんだろうか?)
 一緒に崩れてもおかしくないと思うのだが、天井は部分的にはがれるなどしているものの、全体としてはほぼ無傷だ。
 外壁よりも頑丈、というのは、少し不思議な感じがする。

「あー、これって、そういう専門家が見たらこの中から原因の爆弾チップ、見つけ出せるのかな?」
 瓦礫をつま先でつんつん突付いている。
 がら、と壁の残骸から欠片が崩れ落ちる。
「さあ。だがそのままにしておくのが懸命だろう」
「だよな……っと」
 サラディがくるりと向きを変えた、そのとき。

「うっわ!」
 目を丸くしてサラディが叫んだ。
 アークは驚いて振り返る。
 サラディの視線の先を追う。
 けれど。

「……なんだ?」
 別になにも見つけられない。
「や、ちょ。今動いたって!」
 サラディは天井の一角を指して言った。
「崩れるんじゃないの?」
 それは元の入り口があった近くで、壁の崩落の一番激しいところの、天井だ。
 可能性は高い。
 ふたりは少し距離を取る。

 けれど凝視する前で、天井の一角が、くるり、と回った。

 アークは一歩、踏み出した。
「アニー?」
 思わず、その名を呼んだ。
 あのときの彼女は、天井から現れた。
 そして天井に消えていった。
 この天井の裏に、抜け道があるというのか……?

「…………アーク・サリオン」

 小さな声で。
 確かに。
 ……アニエスの声がした。

「アニー!」
 飛び出すようにアークがぽっかり開いた天井を見上げる。
 けれどその向こうにアニーの姿は見えない。
「アニー? アニエス? 君なのか?」
「……聞いて、アーク」
 肯定の返事はなかったが、届いたのはやはり、アニエスの声だ、と思った。

「隣の部屋から東院の人が進入してくる。
 サラディ・マクスウェルは彼らに救助してもらえばいい」
「あ、ああ……」
 まるで棒読みの声に、アークとサラディは顔を見合わせて頷いた。
「アークは? ここにいては都合が悪い、とわたしは思ったのだが、どうなんだ?」
「ああ……」
 アニエスの落ち着いた声に、アークは冷静さを取り戻す。
 彼女は……自分のために来てくれたのだろうか。
 それとも?
「だよね。マズいよね。ねえ、彼女さ、アークの友だち? アークをそこから連れ出せるの?」
 サラディが、姿の見えない天井の誰かに向かってさらっと訊いた。
 驚いたのは、アークだった。
 そんなこと、と思った。

「そのほうがいいなら、そうする。だがひとつ、忠告しておく」
 アニエスの声は、少しも揺らがなかった。
 ただ、淡々と告げる。
「うん、なに?」
 まるで警戒心のないように振舞うサラディが、問い返す。

「仕掛けられた爆発物は、ひとつとは限らない」

 いとも容易く告げられた内容に。
 アークとサラディは一瞬意味を理解できなかった。
「……って、え?」
 呆然と、サラディが天井に呟く。
「この部屋に進入しようとする外部からの衝撃で、別の、あるいは次のボムが反応しないとも限らない」
「な……っ!」
 そのとき、がんっがんっと音が聞こえてきた。
 二人は揃って音の方向、隣の部屋の方へと視線を飛ばす。
「それって、マズいんじゃ!?」
 サラディがあわわ、と仰け反る。
「だから、マクスウェルは出来るだけ大きいものの陰に入っていたほうがよい」
「アニー! サラディもこの部屋から出すわけにはいかないのか!?」
 ここにいて安全でないのが、アークだけでないのなら。
 ひとり脱出するわけには、いかないのではないか。
 アークはそう思ったが、アニエスは否定した。

「駄目だ」
「どうして!」
「サラディ・マクスウェルは、この部屋にいると公的記録に残っている。
 それが消えたらおかしいだろう?」

 公的記録とはなんだ?
 議員、しかも数に入るかどうかもわからない新米議員の一人一人がどこにいるかなんて、どこにも記録なんてないはずなのに。
 それとも……?

「では……俺は?」
 アークは、天井に向かって問いかけた。
 返ってくるのは、沈黙。

「アニー!」
「あなたは今どこにも存在していない」
「え?」
「だから……迎えに来た」

 返事と同時に、天井の穴から何かがするすると降りてきた。
「気をつけて。これは、一定の重さがかかると、自動的に巻き上がるから。
 一瞬でしがみついて頂戴」
 ロープのような、ワイヤーのような。
 やたらとでこぼこしているのは、手足を引っ掛けるためか。

 アークは仲間を振り返った。
 サラディは、いつもと別段変わらない顔をして、ひらり、と手を振った。
「よっくわかんないけど。
 でも俺がここにいたほうがいいのも、アークがここにいないほうがいいのも、
 確かに言われたらそのとおりだよね」
 さらりと言われる。
 ごん、と瓦礫の壁の向こうで音がする。
 いつどこで何が起こるかわからない、今の状況。
「そうだが……あの」
 ちら、と天井を見上げて、アークは再び友人を振り返る。

「確かに彼女の言っていることに一理はあるだろう。
 けど、サラディはそれでいいのか?」
「どういうことだよ」
「俺がいなくなったあと、おまえはここに一人になるんだぞ?」
「それが罠かもしれないって?」
「そうじゃなくても、俺がいなくなったあとで、爆発があったら、巻き込まれるのはおまえひとりだぞ?」
 そうなるかもしれないと。
 そう言っているのに、それでもひとり残るのか。
 ひとりだけ逃げ出してしまうアークを、許すのか、と。

 アークは、それがたずねたかった。

「だよねー。でも、サ。爆発するかもってことはちゃんと教えてくれたわけだし」
「俺は……!」
 アークはもう一度、天井を見上げて、そして友人を振り返る。
 あまり、時間はないのかもしれない。
「俺はともかく、おまえは……アニーを信じられるのか? 一度だけ、ほんのちらっと見ただけの相手の言うことを?」
「ああ、なるほどね」
 サラディは焦った様子も驚く様子もなく、いつもどおりの調子で答える。
「アークは人がいいなあ。俺のこと心配してくれてるワケね。
 そりゃ、そこにいる姿を見せない、正体不明の女の子のことはさっぱりわかんないけどさ」
 視線が天井に向く。
 その先で、アニエスがどう思っているかなんて、アークはわからない。
「信用できるかなんてわかんないけどさ」
 サラディは視線をアークに戻す。

「でも……彼女、おまえのトモダチなんだろ?」

 さらりと紡がれたその言葉に、アークはびくりと強張った。
「だったら、賭けるしかないじゃん?」
 ウインクなんてしてみせるサラディに、アークは返す言葉がなかった。

「……アーク!」

 そのときずっと黙っていたアニエスが、アークの名を呼んだ。
「上がってくるんだ。早く!」
 突然急かすアニエスに訝しむも、大きくなる突入準備の振動に、サラディが頷きかけた。
「だってさ。早く行けよ。話の続きはまた今度な」
 そう言って、手を振る。
 仕方なく身を翻し、垂らされたロープに、素早く飛びつくと、一瞬後には天井裏に引き上げられていた。
「……なっ?」
 なんだこれは、と思うアークの前に、確かに存在していたのは……アニエス。

「マクスウェル! すぐに隠れろ!」
「おうよ!」

 そこにいたのは、幼馴染み。
 ずっと探していた、幼馴染み。

「アーク! 立てる? 急いで、走って!」
 アニエスは、アークの記憶の中と変わらない深い青の双眸で覗き込むと、手を引いて走り出した。

 そこは、天井は高くないし、薄暗いし、どちらの方向になにがあるのかわからない空間だったが、アニエスは迷わず走り出した。
 アークに声をかけさせる暇を与えず走って。

 そして、

 足元が揺れた。
 思わず手を床に付く。
「なっ……今俺たちがいた部屋か?」
 アニエスに訊ねれば、まるで無表情なアニエスが、無造作に頷いた。
「そんな……!」
「大丈夫だ。マクスウェルには隠れるように言った」
「だからって!」
「行くぞ、アーク・サリオン。今のあなたに出来ることは、少しでも早く西院に戻ることだ」

 どこまでも冷静に。
 否。
 ……冷たく、無表情に。

「アニー! アニエス!」
 アークは手を伸ばし、アニエスの腕を掴む。
 びく、と身構えたのが伝わってきたが、見返してくる瞳の奥にどんな感情があるのか、今のアークにはわからない。
「急ごう」
 アークの手を振り解き、アニエスは促す。
 走り出すアニエスの後を追って、アークは走った。

 今はそれしか、出来なかったから。