6. Encounter. 

 カルロスの運転する車に、アニエスはお客さんよろしく乗っていた。
 今日はロス・クライムの制服のスーツではなく、私服の……真っ黒のスーツだった。
「遠いのかい?」
 助手席に座るサンドラは、目の覚めるような真っ赤なスーツを着ていたが、その辺のモデルよりよっぽど似合っていて、サングラスをかけたその格好で繁華街でも歩こうものなら、どこの有名人かと間違われそうな雰囲気だった。
「いや、遠くはない」
 答えながらカルロスがハンドルを切る。
 三人が乗った車は、街の幹線道路を走っていた。
 アニエスが便乗しているのに、理由はなかった。
 二人の『副業』のために本職がオフになってしまって、するとアニエスは当然することがなくなる。
 それで仲間が、なんだったら見に来るか、という流れになった、それだけだ。
 まあ、ずっと一緒にいる仲間だから、そっちの仕事のことを少しくらい知っておくのは損ではないか、と合理的に答えを導き出し、同行するに至っている。
 間もなく、カルロスの運転する車は、そこそこ新しそうではあるが、それほど大きくも目立ちもしない、ひとつのありふれたビルに入っていった。
 一般的な地下駐車場に入る。
 ロス・クライム特有の個人確認は、ない。
「一般の施設なのか?」
 サンドラも逆にそこが怪しいと言わんばかりの口調でたずねる。
「いや、俺も詳しいことは知らねえ」
 そして普通に車を止め、普通にビルに入る。
 なんだか「普通に振舞う」なんて、任務中みたいで奇妙な感じだ。
 普通のビルの中を、指定された部屋に向かって歩けば、辿り着いた部屋も普通のスタジオに見える場所だった。
「ああ、いらっしゃい」
 誰かが声をかけてくる。
 カルロスがそれに答えて軽い足取りでそこにいた人々に混じっていく。
 と、そのとき。
 部屋の奥から一人の男が現れた。
 その場にいたラフな格好の男たちと違って、黒いスーツを着込んだ男だ。
 アニエスとサンドラは、久し振りに見るその男に目をやった。
 サンドラがサングラスを取る。
「なんだかふざけたことになってるじゃないか。ええ?」
 いきなり突っかかる。
「挨拶だな、サニー。カルロスがこういうふうに話を進めただけだぞ」
「ふうん?」
 長身のサンドラと並んで、様に見えるほど、その男も長身だった。
 特徴といえば、黒のような紫のような奇妙な色の髪を長く伸ばしていること。
 彼は、アニエスたち三人の上司で、けれど、三人の同期だ。
「サンドラー、来いよ。あれ、なんだシャローいたのかよ」
 カルロスが人の輪の中から彼女を呼んだ。
 ひらり、とアニエスたちに手を振って挨拶し、サンドラは颯爽と歩いていく。
「君も、ご苦労だね、アニー」
 二人になると、彼はアニエスに声をかけてきた。
 アニエスは仲間を見上げる。
「わたしは、何もしないのだから、べつに」
 単調に答える。
 表情ひとつ変えない。
 それに彼……シャローは軽く頷いただけで特に反応しなかった。
 おねがいしまーす、と声が揃えられ、アニエスがちら、と人々の方を伺う。
 作業が始まるのだろう。
 アニエスはさほど興味があるわけでもなく、なんとなく人のいるほうを眺めている、という感じだ。
「アニー、こっちへ」
 いつの間にか隣から離れていっていたシャローが遠くで手招きしている。
 割と広い部屋の、壁際に椅子がいくつか並んでいる。
 アニエスはおとなしくそちらへ向かい、隅に座った。
 何をするためなのかよくわからない機材がいろいろ並んでいる部屋を、少し面白いと思って、アニエスははじめて見るものを少し見回す。
 音楽が流れてくる。
 アップテンポで、勢いのある曲調だが、それでいて楽しいばかりじゃない雰囲気だ。
 そういえば、アニエスはまだカルロスが歌っているところを見たことも聞いたこともなかった、と気づく。
「アニーが詞を書いたんだって?」
 突然思い出したように、シャローが切り出した。
「え? ああ……わたしが詞をかいたわけじゃないんだが」
「だろうな。でも、あれは君の言葉なんだろう?」
「……サンドラが、そう言ってまとめていた」
「なんとなくその状況が目に浮かぶね」
「そう、か……?」
 アニエスの言葉をサンドラがまとめて、カルロスがそれを持っていって歌の詞になるように手が加えられた、という過程はきいている。
 だからといって、アニエスは自分が何かをしたつもりはまったくないのだが。
「君の名前もクレジットされるからね」
「わたしの……なま、え?」
 思ってもないことにアニエスはかすかに目を丸くした。
 その表情の変化は乏しいとはいえ、仲間には充分わかるもので、シャローはそんなアニエスの変化に笑った。
「ああ。『アニー』ってだけ、入るよ」
「そ、そうなのか……」
 不思議な感じだ。
 自分のこととは思えない。
 まあ、自分が役に立っているなら、それでいいのだが。
 カルロスが立ち上がって、スクリーンの前に立つ。
 スタッフが何か言うと、それに頷き返す。
 それからイントロが始まる。


 愛してるとか言うのもナンだし
 手をつなぐとか? ピュアすぎてNo! No!
 独りよがりで充分生きてける
 全力で走る
 いつでも、どこへでも


 カルロスの歌いだした詞に、なるほど確かに自分の言ったことも含まれてはいる、とアニエスはかすかに苦笑した。
 

 越えてくモノがあるならアツくなる それだけのこと
 目指したモノが「凄い」かどうか そんなのべつにどうだってかまわない
 アイツはアイツ 自分は自分で ほかに理由はない
 こだわることがあるなら きっとひとつ 譲れないよ


 カルロスの歌だ、とアニエスは思った。
 ノリが良くて、調子よくて、投げやりっぽい。それでいて、真剣だ。


 立ち止まるとか 焦るとか迷うとか そんなの俺のガラじゃないでしょ
 似合ってないし 釣り合いもしないし 
 大切なのは君だけで上等


 カルロスが歌っている、そのとき。
 アニエスの左耳がそれをとらえた。
 いや、アニエスだけではない。
 スタッフたちの側にいたサンドラが軽く顔を上げたのを、アニエスは見た。
 隣に座っていたシャローは、立ち上がった。
 捕らえたのは、複数の足音。
 それがこの部屋に向かって近づいてくる。
 シャローがドアの前に立ったそのとき、ドアは外から開かれた。
 アニエスは思わず立ち上がった。
 サンドラも同様に立ち上がった。
 離れたところにいる二人は、けれど同じタイミングで、手を胸に当て礼をした。
 それはまた、シャローともまったく同じタイミングだった。
 カルロスは……歌っていたから反応していないが、そうでなければまったく同じ動作をしていたに違いない。
 ドアが開いて現れたのは、ロス・クライムの上官だったからだ。
 名前など、知らない。
 知らされていない。
 それでも。
 顔を上げる。
 するとシャローよりもさらに上官の、カルロスなどはいつも「上の連中」と彼らを指すが、そんな上部の男は、シャローに向かって話がある、という意味の合図を送った。
 足音からわかっていたが、その後ろに人があと二人いるはずだ。
 未だドアの向こうだが。
 シャローが何事か答え、彼らを招き入れる。
 そして軽く振り返って、アニエスとサンドラに座っていいと合図を寄越した。
 下っ端のアニエスたちのことなど、上官は見てもいない。
 指示通り、もとの椅子に腰を下ろしたアニエスは、けれど入ってきた人物を見て、息を吸い込んだ。
 そこにいたのは、薄手のトレンチコートで隠してはいるが、明らかに「ブルーカラー」が見て取れた。
 ブルーカラー……貴族院の西院の議員であることを示す、身分証明のためのつけ襟だ。
 そこにいたのは。
(エドラス・ハージェ……!)
 白っぽい金髪を肩下まで伸ばした、西院の議員。
 そして。
 風貌の良く似た、その、息子。
(イーシス・ハージェ……)
 シャローとその上官は、ハージェ議員を伴い、奥の部屋に移動しようとする。
 当然息子も連れて行くのだと思えば、議員は息子に、おまえはここで待っていろと告げた。
 父の言葉に、イーシスはちょっと驚いた顔をして、けれどすぐに、はい、と短く答える。
 ほんの少し動揺したのは、シャローだった。
 ちらりとアニエスの方を振り返る。
 その意味を受け止めて、アニエスは大丈夫だ、という合図を送った。
 イーシスがそんなやり取りに目を留めて、アニエスの方に視線を寄越し……驚いた顔をした。
 そのときはじめてアニエスの存在に気づいたのかもしれない。
 あのときの……女だと。
 それから上部の三人は奥の部屋へと消えていく。
 残されたハージェの息子は、父らを見送った後、軽く部屋を見回し、カルロスたちがしきりに打ち合わせているのを少し見てから、それから、おもむろにアニエスの方を向いた。
 視線を感じて顔を上げれば、すらりと立っただけでどこか冷たい雰囲気を漂わせるイーシス・ハージェと目が合った。
 イーシスは、やや躊躇った後、アニエスに向かって歩き出した。
 アニエスはそれをじっと見つめる。
 互いに。
 目を合わせて。
 ……けれど、言葉を交わす前に。

「待てよ」

 突然、マイクを通した音声が、それまでの歌声から切り替わった。
 イーシスはぎょっとしたように、声の主を振り返る。
 スタッフはカルロスの態度に驚いたようだが、カルロスはそんな周囲を全部無視した。
 一瞬の沈黙。
 その後、部屋の中はざわめいた。
 誰もが、カルロスとイーシスを見比べた。
 イーシスは何を咎められたのか理解できず、怪訝な顔で歌い手を見た。
 そのとき、人々の中を人影がすり抜けた。
 アニエスには見えていたが、イーシスはぎょっとしたようだ。
 自分と、アニエスの間に割り込んできた女に。
 サンドラが、アニエスを背中に庇うように立ちはだかった。

「この子に手を出すんじゃないよ」

 言い放たれた言葉に、イーシスは瞠目して驚いた。
 サンドラを見て、それから、再びカルロスを見た。
 アニエスからは見えないけれど、二人の表情くらい、たやすく想像がついた。
 二人は、知っている。
 アニエスという少女のことを。
 感情を制御しているのではない、欠落している、少女のことを。
 けれど……感情がないわけではないことを。
 アニエスが、嫌っている……いや、恐がっていることを。
 知っている。
 だから、こうして守るような行動を取る。
 アニエスは……アニエスも、そんな仲間のことを知っていた。
 だから。
 けれど。
「な……俺が、何を……」
 突然睨まれたイーシスも、作業を強引に中断されたスタッフたちにも、そんなことはわからない。
 アニエスは、息を吸って、吐き出した。
「サンドラ」
 自分の前に立つ年上の同僚の名を呼ぶ。
 サンドラはそっと振り返り、無表情な仲間を見下ろした。
「大丈夫。……大丈夫だ」
「けど、おまえ」
「ああ、大丈夫」
 それからアニエスは、ほんの少し笑った。
 イーシスには笑ったようになんて見えなかっただろうが、サンドラはその表情に、眉をひそめた。
 わからない、そんな感じだ。
 サンドラの向こうの、イーシス・ハージェに目を向ける。
 見れば、すぐに目が合う。
 そして。

「……アニ、エス」

 彼が、名を呼んだ。
 アニエスは驚いたが、それよりもサンドラが勢いよくイーシスを振り返った。
「あんた、アニエスを知ってるのかい?」
「サンドラ」
 イーシスを責め立てそうな勢いのサンドラを、アニエスは引き止めた。
「わたしは……大丈夫だ。少し、彼には、話があるから」
 アニエスがあまり上手くない説明で何を伝えようとしているか、サンドラは少し考えて。
「……わかったよ」
 やっと、頷いた。
 そしてくるりと踵を返した。
 アニエスから離れていく。
 離れ際にイーシスを睨んでいくのは、まあ、彼女らしいというか。
 じっとこちらを見守っていたカルロスに、手話の要領で独自の合図を送る。
 カルロスもむうっと眉を寄せた後、アニエスに視線を寄越し、それから、ふいっと顔を背けた。
 いつもどおりの顔に戻ってスタッフになにやら話しかけている。
 部屋は、もとのざわめきに戻った。
 止まっているのは、アニエスと、イーシスの間だけだった。
「……」
 アニエスは彼を見返した。
 そう、イーシスはずっとアニエスを見ていた。
 その表情に常にある疑問に、アニエスは苦笑を浮かべるが、きっと彼にはわからないだろう。
 おまえは、なにものなんだ、と。
 そんなこと、答えが返せるはずがない。
 返したところで、納得してもらえるのかどうかわからない。
 だが……彼はエドラス・ハージェの息子だから、あるいは、わかってもらえるのかもしれないが。
 アニエスは、顔を上げた。
 わざとではなく、ただ自然とそうなるだけの、無感情な口調で。

「わたしに、用があるのか?」

 イーシス・ハージェを真正面から見返した。
 アニエスの名を呼んだ、イーシスを。