4. Another Colors. 

「最大のムダは、貴族院が西と東にわかれていることだ」
 イーシス・ハージェが言い切ると、
「……同感だな」
 アーク・サリオンが頷いた。
 アニエスはそれを、天井裏から聞いていた。
 仕掛けられた盗聴器はすべて排除したが、壁一枚向こうの会話くらい、アニエスは……いや、ロス・クライムの人間なら、聞き取れる。
 それくらい出来なければ、使えないから。
「だが、ずっと対立していた勢力をまとめるなんて、簡単なことじゃないぞ」
「簡単じゃないことだが、それならできません、と言うだけなら、どこの能無しだってできるさ」
「……それは、そうだが」
「問題は、それをここでおまえと言い合ってもムダということだな」
 友人同士の談話、にしては、やや険悪な雰囲気で、二人は会話をしていた。
 内容は、この貴族院のシステムそのもの、のことらしい。
 アニエスはもともとこの仕事の担当ではないので、細かい勢力構図はわからないが、イーシス・ハージェの父は貴族院西院の議員、もう一人のアーク・サリオンの父は、元老院の議員だ。
(アーク……)
 アニエスはその声に耳を澄ます。
 年齢より落ち着いた口調で話すアーク・サリオンは、実はアニエスと同じ歳だ。
「で、どうなんだ。アーク」
 イーシス・ハージェが不機嫌そうにたずねた。
 問われたアーク・サリオンは、一瞬息を止めて、それから。
「ああ。大丈夫だ。おまえは?」
 答えて、たずね返す。
 するとなぜか、イーシスはほんの少し慌てた様子になる。
「あ、ああ。問題ない」
 アークは少し疑問に思ったがそれだけで、立ち上がってドアに近づいた。
 ロックを解除するぴぴっという小さな電子音が、屋根裏のアニエスの耳にまで届いた。
「いいぞ、サラディ。入っても」
 そしてアークが誰かを招き入れる。
「なんだ、もう来ていたのか」
「よお、イーシス。相変わらずの仏頂面だなー。俺ら久し振りに会うのにさ」
「……べつに、同窓会に呼ばれたわけでも、呼んだわけでもないからな」
 明るい声がした。
 アークとも、イーシスとも知り合いらしい。
(『サラディ』? 誰だ?)
 イレギュラーの登場に、アニエスはさらに耳を澄ます。
 彼らは、何をしている?
 音がする。
 椅子に座った音だろうか。
 何も見えないが、届く音だけで、アニエスは部屋の中の様子を想像する。
 三人が向かい合って言葉を交わす。
 ここに来るのは二人だけだとの情報だったので、三人目が誰なのかわからないが、会話の内容から、やはり同様の新米議員であるらしい。
 アニエスは耳を澄ませる。
 重要なことを聞き漏らすまいと。
 そして。
 耳に届いたのは。
 かち、という、会話声ではなくもっと別の種類の、でも……よく知った種類の音。
(……な、に?)
 アニエスは目を瞠った。
 まさか。
 この部屋は自分が丹念に見てまわったはず。
 不要な装置は解除したはず。
 なのに。
(わたしを……!)
 耳を澄ます。
 三人の声の後ろに、かすかに……ほんのかすかに、その音は時を刻んでいる。
 ――間違いない。
(わたしを……欺くなんて!)
 アニエスは誰にもわからない変化ではあったが、それでも、確かに、顔を歪めた。



 突然、サラディが顔を上げて、いぶかしんだ様子で周囲を見回した。
「おい……本当に大丈夫なのかよ?」
 突然の話題転換に、イーシスは眉間に力を入れて同僚を伺い見た。
「どういうことだ?」
「今、なんか……」
 サラディが腰を浮かせる。
 アークが連れてきたこいつは、サラディ・マクスウェル。
 同期の議員ではあるが、一応こいつの所属はイーシスたちとは逆の東院だ。
 べつにそれがどうということはないが、こいつのやっかいなのは、父親が西院の議員で、母親が東院の議員である、ということ。
 そんな奇妙な境遇の議員は、多分ほかに類を見ないだろう。
 けれどそんなこと、たいしたことないと言わんばかりに、サラディは奔放だ。
 西院にも東院にも、こうして友人がいる。
「政治家ってヤツはツテとかコネとかも重要だよね」
 なんて、しゃあしゃあと言ってのける。
 まあ、間違ってはいないが。
「だが使い方は間違うなよ」
「大丈夫。イーシスみたいな頭の固いヤツは使いにくいから」
「……誰が頭が固いだと」
 勝手に言ってろ。
 そんなサラディは、だから、というべきか、異様なくらいに勘がいい。
 それはもう、能力とか、才能とか言えるレベルだ。
「なにか……って、なんだ?」
 そんなサラディの言葉は、無視できないものがある。
 だが、ずっと一緒にいるイーシスには、この部屋に変化を感じ取ることはなかった。
 アークがつられるように部屋をきょろきょろ見回すが、わかるはずもない。
 サラディが立ち上がって、机やソファの下やら影やらをチェックし始めた。

 イーシスは、それで、この部屋に入ってきたときにいた、あの女を思い出す。
 何者かは結局わからなかったが、何をしていたかは、わかった。
 あの手に持っていた、市場には出回っていないはずの素材。
 その中にずっしりと入っていたのは、盗聴器だとか、そういう類のものだ。
 奇妙なくらい無表情な女が、無表情にこなしていた作業。
 慣れた手つき……。

「おい、なんだよ、これ!?」
 部屋の中をうろうろしていたサラディが、大声を上げた。
 イーシスとアークも訝しがりながら近づく。
 サラディが覗いては身を引くそれは、なんでもない、ごく普通のドアの操作パネル。
 イーシスがこれに触れたのは、部屋に入ってすぐ、ロックをかけたときだけだが、そのときは何も思わなかった。
 けれど、言われてみれば、確かに何かがおかしい。
 さっきまでとは違う。
 慎重に覗き込んでいたアークが、難しい顔で言った。
「……爆発物だな」
「……って! 冷静に言ってる場合じゃ!」
 サラディが仰け反る。
 ぎょっとしたのは、イーシスだって同じだ。
 アークが振り返って、口の前で一本指を立てる。
 同じ動作をした、別のヤツを思い出す。
 伝えたいことは、同じはずだ。
 黙って耳を澄ませれば、ち、ち、ち、という規則正しい電子音がする。
 そんなに小さな音でもない。
 さっきまでは、あるいは、自分が部屋に入ってきたあのときには、まだ聞こえなかったものだ。
「このタイミングを見計らっていたということか!」
 イーシスが唸るように吐いた。
「事前に解除されないように! まったく用意周到な!」
 自分たちにはわからなくても、事前に……あの女なら気づいていたかもしれないのに。
「事情はどうあれ、どっかに逃げる方法は!?」
 そんなもの。
「このドアのほかに、出入り口なんて……」
 あるはずがない。
 が。
 イーシスはふと、天井に目を向けた。
 あの女は、どうやって天井へ消えたのだ?
 イーシスはあの一角に早足で近づくと、壁や天井に目を凝らした。
「と、ともかく、これが爆発するとしたら、とりあえず反対側にいるのがいいよな?」
「ああ、それが一番安全だな。盾になるものがあればなお良い。……イーシス、なにをしている?」
 アークが冷静に……腹が立つほど冷静に現状における取るべき策を挙げているとき、イーシスは、それでも、何も見つけられない壁を見上げていた。
 苛立つ。
 この状況、どうして打開してくれよう。

 そのとき。
 再びかちっと音がした。
 三人がぎょっとして一斉に扉に目をやると、それまでにはなかったものが、また新たにそこに点っていた。
 赤いランプだ。
 いや、それはランプではない、電光の……数字だ。
「え、マジで。カウントダウンじゃん!?」
 サラディが大声で言わずとも、みればわかる。
「これは本格的にまずいぞ。おまえも退がれ、イーシス」
 まずいのはわかっている。
 だから……迷っている暇はない。
 イーシスは天井を見上げた。
「イーシス、なにをしている!?」
「――くそっ!」
 吐き出した。
 どうせほかには手はない。
「いないのか! もう、そこにはいないのか!?」
 叫んだ。
 用が済んだなら、もうこんなところにはいないかもしれない。
「イーシス……?」
 仲間たちはソファの陰に身を隠し、不可解な行動をする仲間を訝しんだ。
 ち、ち、ち、という音は、さっきより早くなっている。
 赤い数字がくるくるとカウントしていく。
 議員室に爆弾など、どこのどいつが、と思うが、今はそれどころではない。
 もう……間に合わないか。
 
 けれど。
 そのとき。
 
「――退がれ、ハージェ」
 
 低い、声がした。
 イーシスははっと天井を見上げ、即座にニ、三歩下がる。
 と、目の前にあの女が飛び降りてきた。
「……ドアだ!」
 咄嗟に言って指差すと、女はくるりと身を翻し、操作パネルに飛びついた。
 じっと見つめたかと思うと、まるででたらめのようにボタンを押し始める。
 イーシスと、そしてアークとサラディが、その背中を見守る。
 高速で打ち込まれるそれに、パネルはときどき、ぴ、という音を発する。
 イーシスが背中に近づけば、さっきまでカウントダウンしていた数字が止まっていた。
 女はなおもパネルを操作し、やがて、しゅんっという音と同時に、そのものの電源が落ちた。
 そしてパネルを……壁から取り外しにかかった。
 イーシスは驚いたが、黙ってそれを後ろから見守る。
 女はやはり手馴れた感じで、パネルをごっそり取り外すと、回線やらチップやらの内部から、それをそっと取り上げた。
 アークとサラディもやってきて、同様にイーシスとは反対の肩越しに覗き込む。
 女が手にした、イーシスにはよくわからないのだが、おそらくそれが爆破装置であろうものを、アークが覗き込んだ。
 女が咄嗟に顔を背ける。
 アークは彼女のそんな動作が気にならないのか、彼女の手の中のものだけ眺め回して、どこどこ製のナントカだ、と型式らしきものを口走った。
 アークが眺め終わったと思ったのか、女はそれをアークとサラディの前から隠すように、例の袋にしまいこむ。
 そして、ドアの操作パネルを元に戻す作業にかかる。
 手際よくあっという間にそれを終わらせて、女は荷物を小脇に三人の前から離れようとする。
 イーシスは呼び止めようとして。
 けれど。
 
「待てよ、アニー」
 
 自分ではない男が、女を呼び止めた。
 イーシスの脇をすり抜けようとしていた女が、びくりと肩を揺らしたのを、イーシスは見た。
 イーシスがちら、と振り返るとそいつは……アークは、睨みつけるような目で、女を見ていた。
 アークは、今、確かに彼女を名前で呼んだ。
 一瞬止まった女の動きはすぐにそんな呼び声を無視するように再開される。
「アニー! アニエス!」
 アークが追いかけようとして、だから彼女は逃げるように走り出した。
 思わず。
 イーシスは手を伸ばした。
 ……意外と簡単に、彼女の手首を掴む。
 が、当の本人は、それが予想外だったのか、瞠目してイーシスを見返した。
 黒いような、でも、よく見れば深い深い青い色の双眸。
 まるで何も感情を映さないような瞳。
 でも、その無表情だから、そこに浮かぶほんの少しの変化が、イーシスには刺すように感じ取れる。
 見詰め合う、数秒。
 けれど、彼女のその次の行動は、今度はイーシスにとって予想外だった。
「さ……触るなぁ……っ!」
 そして勢いよく振り払われる。
 女の力なんて大したことはなかったが、イーシスは驚いて思わず手を離してしまった。
 それまでの無表情、無感情なイメージからは想像できないような、それは……嫌悪?
 イーシスが呆然としている前で、女は先刻同様、壁を駆け上がり天井へと消えていった。
「え? 今、あれ? どこから登ったの?」
 サラディの声がいつも以上に間抜けに響いた。
「イーシス」
 そして、アークの声は、いつもと違って……冷静さを欠いていた。
 イーシスは、その同僚を振り返る。
 アークは……黒髪の下のやや緑がかった青い目で、イーシスを睨むように見ていた。
「どういうことだ? どうして、アニエスが? そもそも彼女は……なん、なんだ?」
 イーシスは薄い青の瞳を細めた。
 アークは、あの女を知っている。
 けれど、自分同様、やはり知らないと。
「アニエス、という名なのか、あの女」
 イーシスは冷たく言った。
 それにアークが眉をひそめる。
「おまえが呼んだんじゃないか」
「ああ、俺が呼んだ。だが、俺はあの女の名前など知らない。
 どうしておまえは知っている?」
 アークは驚いたような顔で、それから、傷ついたような顔になった。
 視線を落とす。
 手を、握り締める。
「俺は、彼女を探していた!」
 そして……吐き出すように言った。
「どうして彼女がここに、行政府にいるんだ!? それでその上、アニーは何をしている!?」
 確かに、彼女がやっていることはあまり通常の仕事ではなさそうだ。
 これが普通に事務員かなにかで、たまたま再会したのなら、アークもこれほど驚きはしなかっただろう。
 彼女がなにをしているのか。
 イーシスだって知らない。
 知るはずがない。
 だいたい、彼女の存在を知ったのは、ほんの数十分前なのだから。
「探していたって、なんでさ。なんで連絡とれなくなってたの。友だちだったんだろ?」
 サラディがひょこりと顔を突き出してたずねる。
 友だち?
 その言葉はとても奇妙に聞こえた。
 彼女の、友人、というのが想像できなくて。
「それは……アニーが、その……いなくなったんだ。急に」
「急にいなくなる? なんか理由があったんじゃないの?」
「それは……」
 アークが歯切れ悪く言う。
 その理由とやらに心当たりがあるらしい。
「正確な理由なんてわからない。でも……」
 アークが思い出して首を振る。
 後悔、しているのか?
 こいつが?
 いつも冷静な、アーク・サリオンが?
「俺が……俺と父が、彼女を俺の妹にしようとしたから、だと思う」
「は?」
 一瞬、部屋はしんと静まり返った。
 言われた言葉を反芻してみたが、やはり、意味がよくわからなかった。
「いもうと?」
「それは、どういう意味だ?」
「言葉のとおりさ。彼女を養子として迎え入れようとしたんだ」
 なぜ、という疑問はさらにわきあがったが、他人の家庭事情に首を突っ込むのもどうかと思ってイーシスは言葉を飲み込む。
「で、彼女は嫌がっていなくなっちゃったって?」
「それは……わからない。聞いたわけじゃないから。たまたま時期が一緒だったから、それくらいしか理由がわからなくて」
 アークが、あまりみたことがなかったが……しょんぼりと肩を落としている。
 こんな内容の話でなければ、笑い飛ばしてやりたい有様だ。
「うーん、でも音信普通になっちゃうって、凄くない? ちなみにそれ、いつ頃の話?」
 あくまでも話の流れでたずねたサラディの問いに。
「ああ。俺たちが……六つのときだったかな……」
 再び部屋は沈黙した。
 サラディは一旦凍りついた後、目を丸くして喚いた。
「はあ!? むっつぅ? そんな頃に自力で行方くらませるかよ!?」
「俺だって探したさ! というか、俺の父が探して見つからなかったんだぞ!」
 アークの父は、この国でもっとも力のある機関、元老院に属している。
 さすがに十五年も前は元老院ではなかっただろうが。
「で、十五年間、音信普通だったのか?」
 イーシスはたずねる。
「……ああ」
「それでよく……わかったな」
 ほんの一瞬のことだ。
 顔を正面から見たわけではないだろう。
 声を聞いたわけでもない。
 彼女はイーシスの名をハージェと呼んだから、一緒にいるのがアーク・サリオンだとわかっていたのだろうが。
 だから、アークが名を呼んだとき、反応したのだ。
「わかるさ。アニーは……全然変わってなかった」
 泣きそうな声だと、思った。
 あの感情のなさそうな女を指して、全然かわってないだと?
 それとも幼馴染みのヤツから見れば、そんな表面的なことには惑わされないと、そういうことだろうか。
 イーシスは彼女が消えていった天上を見上げた。
 相変わらずそこには何もない。
 まるで夢だったように。
 否。
 夢にしては鮮烈すぎた。
 たった三言しか紡がれなかった言葉は、耳に残っている。
 低くて、無感情な声だった。
 咄嗟に掴んだ手は、女なんてそういうものかもしれないが、自分よりずっと細くて、そして……やたらと冷たかった。
 なにより、あの目だ。
 吸い込まれそうな、不思議な色だった。
 自分を見ているのに、まるで何も見ていないような。
 それでいて、なにか読み取れそうな何かを宿しているのに、絶対にそれを見せないような。
 そんな瞳で。
 なのに。
 真っ直ぐに自分を見た。
 たとえ夢でも、目が覚めても、あれだけは忘れられそうにない。
 
(アニエス……)
 仲間が口にしたその名を、イーシスはそっと胸にしまった。