いつもの笑顔が演技だと、知ってはいるし、
本当の彼には自分の知らない顔があるだろうということも、予想はできるけれど、
実際いつもは、本当に気のいいお兄さん的キャラを構築していて、
だから、
ドアを開けた瞬間から、あからさまに不機嫌、というのは、珍しいとアニエスは思った。
「なんだい、随分腐った顔だねえ」
こういうときはそっとしておくべきなのかも知れないが、
こういうときだからこそあえて、サンドラは声をかけた。
普段は逆に声をかけない彼女が。
だから、あえて、なのだろう。
そしてまた、普段ならまっすぐ……たぶん、恋人なのだろうサンドラの隣に直行するカルロスが、
いや、直行はしたのだが、
自分の椅子を掴むと、ごとごと引きずって、コンピュータデスクの前にちょこんと座っているアニエスの隣にやってきた。
椅子を後ろ向きにおいて、跨ぐように座る。
背もたれに手と顎を預けるようにして、アニエスを見た。
「なあ、アニエス」
呼ばれて、アニエスは隣に座った年上の同僚を深い青い色の双眸で見返した。
「はい」
無感情に答える。
「話をしよう」
「……はい」
何が言いたいのかよくわからなかったが、アニエスは表情ひとつ変えずに、ただ、返事をする。
「なあ、俺のこと、どう思う?」
「……は?」
けれど。
さすがに……なにが言いたいのかわからなさすぎて、アニエスは、疑問系で返してしまった。
「って。あんた、何言ってんだい?」
背後で不審気に見守っていたサンドラがわしわしと金髪をかきむしりながら言った。
「や、俺は率直に聞いてるの」
いくぶんいつもの彼に戻った口調で、軽くサンドラを振り返りながら答える。
「いい加減とか、騒々しいとか、軽いとか」
「おまえには聞いてない。けど、それあんまりなんじゃ?」
「そうか?」
にやり、と笑ってサンドラは背を向けた。
もう、どうでもいいらしい。
たぶんカルロスが、いつもの調子で答えたから、それでよかったのだろう。
ひでー、とか言いながら、カルロスはアニエスを振り返る。
「な。俺はおまえの言葉でそれを聞きたい」
「……聞いてどうする?」
「理由がいるのか?」
あくまで真剣な目で返す、その表情を見ながら、アニエスは同僚のことをなんと表現したらいいのか頭では考え始める。
「それではわたしは、なんと答えるべきなんだ?」
カルロスが、アニエスに求めるなら、アニエスはそれに答えられる。
だから、知りたい。
彼は、なにを求めているのか。
ぽりぽりと、カルロスが鼻の頭を掻いた。
「俺のことを、おまえの言葉で表現してくれたら、それでいいんだけど」
「それは……やはり、例のことに関係あるのか?」
深入りするつもりはないし、カルロスが隠すならそれでもかまわなかったが、アニエスはつい、聞いてしまった。
「あー、やっぱ、気づくよなー」
途端にむすっとふてたような顔をする。
「あ……すまない」
「いやいや、アニーが謝ることないぜ。ちゃんと説明したほうが、アニーはやりやすい?」
と、言われても。
わからないけれど。
「もしかして、その……あなたが歌う、歌の詞、ということ?」
「めちゃめちゃビンゴだぜ」
「その、参考にしようということ、かしら?」
「つーか、できることならほとんどそれで」
「は?」
参ったな、という顔のカルロス。
いや、驚いているのはアニエスのほうだ。
その表情からその感情を読み取るのは、仲間たちでなければ難しいだろうけれど。
「言ったろ、三人で、て。でも俺は断じて、オモテに顔を出すのは俺だけ、て思ってるから。
だから、オモテに出なくていいポジションを仲間に先にやらせようとしてるのさ」
つまり。
アニエスは詞を書いたから、仲間だと。
でも、普通の音楽でも作詞担当というのはメンバーだからといって顔を出す必要はないから、と。
「それで、わたしの言葉?」
「そ。おまえの言葉はいつも、的を射てる」
「そいつは正しいね」
部屋の奥で仕事をしていたサンドラが、同意を示した。
「いいところも悪いところも、ちゃんと見てるしね」
「いいとこだけでいんだけど?」
「馬鹿。それじゃ詞にゃならないだろ」
「あー、それは言えてるねー」
目指すものが「凄い」かどうか
そんなのべつにどうだってかまわない
他人は他人 自分は自分
ほかに理由はない
かたかたかた、とタイピングの音がして、カルロスは振り返った。
けれど、アニエスはすぐに指を止めた。
「……でも、わたしはそんなこと、文字にしたことがないな」
「いいんじゃないの、いまさら。あたしたちは付き合い長いんだし。今までのアニエス語録でなんとかなるよ」
「なんかおまえがいうと適当に聞こえるな」
「そうかい?」
二人のもとに近づいてきたサンドラが手を振って合図する。
その意図を悟ってアニエスが立ち上がると、サンドラがコンピュータの前に滑り込んだ。
打ち出していく、サンドラいわく、アニエス語録。
「そんなこと……よく、覚えているな」
さらりと紡がれていく言葉は、確かに自分が言ったことかもしれない。
モニタを覗き込んでアニエスは感心する。
「アニエスは、普段あんま喋んないからね」
「だから余計によく、覚えているのさ」
「で? あんたは何て見得切って来たんだい?」
サンドラがさらりと言った言葉に、カルロスはぐっと詰まった顔をした。
答えない同僚に、サンドラはちろり、とその紅の瞳を向けた。
そして、口許に妖艶ともいえる笑みを浮かべる。
「そういうことなんだろう? あんたは意外とわがままだからね」
アニエスは、ふっと小さく息を吐いた。
仲間にはわかる……いや、仲間でなければわからない、それは、アニエスにとって笑いの表現だった。
気づいたサンドラが、かたかたと指を動かしながら笑った。
が、声をかけた相手はアニエスではなく。
「そんなに図星ですって顔、できるなんて、あんたは役者だね」
「……演技じゃねえよ」
「はあん? 素だってのかい? それこそ笑わせるんじゃないよ」
「…………そのくらい、こっちのメンバーで用意するよって」
「言ったんだろ、やっぱりね」
さして重要そうにも、さして驚いたふうでもなく、さらりと告げる。
「こっちは素人ばっかりだってのにさ」
「俺だって! けど、選択肢は多かねえんだ」
毎日を生きてくために そこにあるなにかを選んで
要らないと思っていても 言えなければ 同じこと
居場所を追われたアニエスが、ふらりと部屋を歩きながら言葉を紡ぐ。
誰に言うわけでもない。
ただ彼女は、彼女の想いを、そうして紡ぐ。
「選んで、いるんだよな」
ふと、立ち止まって仲間を振り返る。
「カルロスが、少ない選択肢の中から。だから、わたしは、それでいいと思う」
「甘いよ、アニー? そんなのコイツの独善かもしれないよ。実際あたしたちはとばっちりなんだし」
独りよがりでも、自信過剰でも、
充分生きていける
後れを取るな 前を見て走れ
答えるように言って、アニエスはそれっきり口をつぐんだ。
黙って手を動かし作業をする。
それは……しいて言えば、いつもと変わらない彼女。
「……ってことかい。オーケイ? やってやろうじゃないの」
そんなアニエスを眺めて、サンドラがにやりと笑った。
それから傍らの同僚をぎろりと睨む。
「あんたもそれでいいんだろう?」
カルロスは無表情にアニエスをしばらく見つめ、それからサンドラを見返した。
訓練され、いつしか自然になっていた無表情。
そこに、思い通りの表情を乗せる。
あるいはそれは、役者なのかもしれない。
他人を騙すすべかもしれない。
けれど、彼らにとっては生きる道。
それ以外に、ありえない。
生も、存在も、その、価値も。
もうとうに、自らの意思では左右できない、自分たちに。
「オーケイ、オーライ。そんじゃ、やりますか」
あくまで明るく。
それはカルロスが選んだ振舞い方。
今ここで、必要なポジションだから、彼はそれを演じる。
それは、サンドラも同じ。
ほかの仲間も同じ。
ただ。
唯一。
違うのは、アニエス。
飾らない。演じない。
そのままのアニエス。
だからアニエスは無表情。
ひょっとしたら、訓練を受ける前から、彼女はああだったのかもしれないと、仲間たちは思う。
けれど、それでもアニエスはアニエス。
彼らは、ロス・クライムの……駒でしかない。