五章 青き星の宮

 ぽつぽつとあった木々をいくつか通り過ぎると、思った通り街道に出た。
 街道といっても王都のような石畳の舗装されたものではなく、馬車と人々が歩いたあとが踏み固められただけの道だ。
 とはいえ、馬車がすれ違うのに問題ないくらいの幅がある。
 さて、ここは辻馬車が通るのだろうか。それともあるくのだろうか。
 そもそも次の目的がどこなのか、アルスはそれも知らない。
 ずっと知らない、わからないことばかりだったが、キャロルに訊けば答えてくれるのだろうか。
「姉さま、あちらから人が来ます」
 すっときょろきょろしていたアルサフィナが、道の一方を指差した。
 キャロルは、そういえばさっきから、ずっとそちらを見ていた。
「やはり東都のほうから来ましたわね」
 まるで誰かが来るのがわかっていたかのように頷く。
 いや、わかっているのか。
 敵なのか?
 アルスは腰の剣に手をやり、二人が見つめる先に目をやった。
 すぐに、土ぼこりが見えてきた。
 馬車だろうか。
 もすごい速さで走っているのか。
 疑問に思ったのは一瞬で、すぐに正解が見えた。
 馬だ。
 車を引いているのではなく単騎で……いや、なにかおかしい。
「アルサフィナ、離れなさい」
 キャロルが素早く命令した。
 アルサフィナはすぐに背を向け走り出す。
 キャロルの言うことを信用していて、自分のことを理解していて、つまり足を引っ張るくらいなら逃げも隠れもする、ということだ。
 アルスは……ちゃんと自分で見極められるだろうか。
 迷う。
 暴走する馬に剣は有効か?
 そうだ、馬が暴走している、とさっき報告を受けたじゃないか。
 つまりこれは、敵の攻撃なのか?
 突進してくる馬の姿が明確に見えてきた。
 そしてアルスは、思わず声を上げた。
「なんだ、あれは!」
「失敗作なのか、ああいう代物なのか」
 キャロルがため息交じりに呟いた。
「いずれにしても、美しくはないわね」
 彼女は青いドレスの腕を上げると、手のひらを馬に向けた。
 どんっ、という、なにか衝撃を体が感じると、暴走していた馬がのけぞるように前脚を立ち上げた。
 いや、前脚だけではない。
 異様なのはその馬に、足が六本あることだった。
 前脚と後脚の間にもう一組。
 くっつけた? 生やした? これが魔法なのか?
 怒ったように嘶いた後、六本足の馬は再び走り出した。
 まるで真っ直ぐにキャロルを目指しているかのようだ。
「馬の弱点ってなにかしら、騎士さん」
「えっ」
 キャロルが訊ねてきた。
 そうだ、彼女より自分のほうが馬の扱いは慣れているはず。
 弱点、弱点……。
「横の動きが苦手だ!」
 思いついて怒鳴るように返すと、キャロルの腕がさっと動いた。
 突風、とも違うが、空気がぐぐっと押されるような感覚。
 突っ走っていた馬は、横から押されて見事に横転した。
 怒りとも痛みともわからない声を上げている。
 アルスは息を吐いた、キャロルを見た。
 彼女はやや眉間を寄せて馬を見つめている。
「これはただの見張りですわよ」
「見張り?」
「ええ。わたくしの魔法か何かに反応して、動き出したのだと思うわ。それを魔法の使い手は感知しているはず」
「敵は……君を探しているのか?」
「そのはずですわ」
「どうして君なんだ?」
「さっきいったでしょ。わたくしは囮なんだ、て」
 どうして、といいかけたところで、アルスははっとした。
 街道の向こうに人影が現れた。
 複数の馬に乗った人物、その後ろからまだ続く気配。
「やっと敵さんとご対面ね」
 キャロルが相変わらず他人事みたいな口調で呟いた。
 アルスは剣を抜いて、キャロルの前にでた。
「見つけた! 見つけたぞ、魔法使い!」
 馬に乗っている男が言ったのが聞こえた。
 キャロルを探していたのか。
 でもどうして彼女なんだ。
 姿を見せた複数の黒い影が、同時に走り出した。
 十数人はいる。
 手にナイフか何かを持っているのがちらりと見えた。
 さばけるか。
 ふと、背中にキャロルの手が触れた。
 そして彼女は反対の手を振り上げ、すると黒い刺客たちが吹き飛んだ。
「風の魔法か! 確かにさっきからびりびりくると思ったぞ!」
 ひとりの馬上の男が大声で言ってなにか合図をした。
 あの男が首謀者、いや違うだろう、この現場の指揮官といったところか。
 男の合図に進み出てきたのは、今度は弓を持った男たち。
 彼らはさっと前に出て矢に火をつけて、そしてさっきアルスたちが抜けてきた木々の茂ったほうへと火矢を放った。
 すぐに下草に火が付く。
「これで無暗に風は操れまい。森が火の海になるからな!」
「な……どういう考え方だ」
 満足げに高笑いしている男に、アルスは怒りというより呆れを感じていると、背後でキャロルもため息をついた。
 どうやら彼女はアルスの後ろに隠れているらしい。
 理由は相変わらずアルスにはわからないが。
「出方を見ようと思ってたのですけど、呆れるわね」
 ぱちぱちと音を立てて、火がどんどん広がっていく。
 キャロルはアルスの背に触れたまま、すうっと息を吸った。
 魔法の力の源、というのを吸い込んでいるのだろうか。
 そして静かに糸のように吐き出す。
 するとなんだか、周囲の空気が冷たくなったように感じた。
 やや薄暗くなり、と思ったら、馬の男の背後になにやら大きなものが現れた。
 大きいから遅れて到着したのだろう、それは。
「は? 投石機?」
「むかしの戦争の道具ね。お城か砦を攻めるものじゃないかしらね」
 キャロルがどこかのんきそうに言う。
「まあ、爆薬で教会を破壊する人たちだからねぇ」
 口調はこんなだが、アルスはずっと感じていた。
 背中に触れている彼女の手は、だんだん強張るように力が入っていく。
 見た目にはアルスの後ろの隠れて立っているだけに見えるだろうが、彼女はいま、魔法を使っている。
 あるいは使おうとしている。
 それも結構大きな魔法を、だ。
「ところでアルス」
「なんだ」
「もしいまあそこから大岩なんかが飛んできたら、はじき返せないから、そのときはお願い」
「……わかった」
 一歩も動かないアルスとキャロル。
 対する相手も、距離を取ったまま近づいては来ない。
 多勢に無勢だから、一気に囲んで攻め込まれたらアルスにはどうしようもないのに、それをしない。
 キャロルがすごい魔術師だとわかっているからなのか?
 それとも戦術についての基本的な考え方が違うのか?
 一度止まった投石機が再びゆっくり前進し始めた。
 その両脇から射手が少しずつ広がりながら距離を詰めてくる。
 さっきキャロルが吹き飛ばしたナイフの連中も、起き上がって包囲し始めた。
 客観的には絶体絶命に見える。
 ひゅーっと風が吹いた。
 冷たい風。
 さっきからどんどん寒くなっている。
 そしてついに、ぽつ、と雫が顔に当たった。
 雨だ。
 刺客たちは動かないが、馬に乗った指揮官は忌々しそうに空を仰いだ。
 降り出した雨はあっという間に強くなり、燃え広がっていた下草の火が鎮火していく。
 男はちっと一瞥すると、合図を出した。
「やれ!」
 投石機の縄が切られた。
 アルスは片手でキャロルをかかえると、迷わず真横に走った。
 行く手にはナイフ使いがいるが、彼らが立っている場所に岩は飛んでこないはずだ。
 どーんと大きな振動とともに岩が降ってくる。
 けれどあの投石機はおそらく、前後にはすぐ動かせるが、向きを変えるのは得意ではないだろう。
 馬と似ている。
 続いて一斉に矢が放たれた。
 が、これはまるで届かなかった。
 射手が少し驚いているのが伝わってくる。
 まるで、雨が意思をもって叩き落したかのように、矢がパタパタと地に落ちた。
 続いてナイフ使いが襲い掛かってきた。
 これは風の魔法でははじけないようなので、アルスは少しばかり乱暴にキャロルをどさっと地面に下ろし、自らの剣で応戦する。
 キャロルは、放り出されても文句も言わず、地面にうずくまって祈るように手を組んでいる。
 雨がだんだん強くなって、足元がぬかるんできた。
 剣には自信があるほうではあるが、一人でさばくのは、ややきつい。
 濡れた剣でナイフをはじき、泥のついたブーツで相手をけり倒す。
 ――だからお前は絶対に彼女を守れ
 スピカさまにそう言われた。
 単純に彼女を守れと言われたのではない、彼女の背後のなにかを守れと言われたのだ、と思う。
 これはアルスに与えられた騎士としての仕事だ。
 そしてそばでうずくまっている彼女は、恐怖に震えているのでは、ない。
 交わる金属音。
 ばしゃばしゃと泥の撥ねる音。
 その中にほんの少し、彼女の声が紡がれている。
 そして、ゴロゴロという空からの低音。
 雷か、とほんの一瞬だけ意識を空に向けたそのとき、稲妻が空気を裂いた。
 ひゅっと一瞬無音になって、どーんと地面と空気を揺らす。
 思わず肩をすくめ、耳をふさぎそうになる大きな音。
 けれど続く、めりめり、ばきばき、という音につい呆気にとられた。
 雷が、投石機に落ちたのだ。
 木材が裂けて、火がついたようだ。
 ゆるり、とキャロルが立ち上がった。
 きれいな青いドレスが、また泥だらけだ。
 やや虚ろな表情をしているので、片手を伸ばして手をつなぐと、ぱっと目が開いた。
 きゅっと手を握り返される。
 そして彼女が、まるで虫でも払うように手を振ると、周囲にいたナイフ使いが吹き飛んだ。
「なんなんだ、この雨と雷は! ええい、撤収だ、撤収!」
 雨の向こうで叫んでいるのが聞こえる。
 アルスは片手で剣を構えて周囲に目を配っていたが、ナイフ使いは起き上がってもこちらには向かってこなかった。

 雨は、すぐにあがった。
 元の通りきれいな青空に、雨が降ったことを証明するかのようなきれいな虹まで出ていた。
「姉さま! 大丈夫ですか!」
 ぬかるんだ道をばちゃばちゃとアルサフィナが走ってきた。
「わたくしはなんの問題もありません。それよりあなたのほうが心配だったのよ。ちゃんと隠れていて偉いわ」
「その褒められかた、嬉しくありません! それにそれに、絶対危なかったの姉さまのほうです!」
「あら。アルスがいたのだから大丈夫よ。それよりアルサフィナ、ほらもう、そんなふうに走ったら服が汚れるでしょう」
「それも姉さまに言われたくありません!」
 また姉弟のように仲良く言い合いをしている。
 内容は……だいたいアルサフィナに同意だ。
 泥だらけで魔法を使って、怪我でもしたら、と思ってはっとした。
「キャロル、君、大丈夫か。怪我してないか」
「はい? いまそれ?」
 キャロルは少しだけ振り向いて、片目でアルスを見た。
「それはわたくしではなくて、あなたに言うことね。アルス、大丈夫? 怪我してない?」
「あ、ああ……」
 正直言うと、いまはよくわからない。
 打ち身や切り傷はあとで気づいたりするものだ。
「俺は……大丈夫だ」
「それは良かったわ。守ってくださってありがとう」
「あ、ああ」
 お礼を言われて、ちょっと頬をかく。
 自分はちゃんと任務を果たせたのか。
「それよりキャロル、君、魔法を使ったんだろう? その、魔法の力は、大丈夫なのか?」
「ああそれね、かなり大変」
 キャロルはいままでと同じように、まるで他人事のように呟いて、そしてふらっと、倒れこんだ。