五章 青き星の宮

 キャロルが目を覚ましたのは、西の空が夕焼けに染まりはじめた頃だった。
 ゆるりと体を起こした彼女は、アルスをちらりと見て、それから窓の外を見た。
 時刻はあの空の色で、だいたいわかるだろうが、ここはどこ、とは聞いてこない。
 ここは、彼女が倒れた場所、すなわち敵の襲撃を受けた森に近い街道から、歩いて数十分のところにある小屋だった。
 道行く人は誰でも使えるという。
 アルサフィナがここを知っていて案内してくれたのだ。
 だからキャロルもここがどこだか、見当がついているのだろう。
「キャロル、大丈夫か」
 アルスが声をかけると、キャロルの視線が窓の外から戻ってきた。
「大丈夫か……と言われると、むずかしいわね」
 そして、ぼそっと答えた。
 その答えにアルスは慌てた。
「ど、どこか痛いのか? 動けない?」
「痛くはないけれど、動けそうにはないわね」
 キャロルは、ゆるり、と片手を差し出した。
 アルスは思わずその手を見つめる。
「眠っている間、手をつないでいてくださったら良かったのに」
「えっ? そ、それは……」
 びっくりした、というよりは、ぎょっとした。
 どうやらこの手は、つなげ、という意味らしいので、アルスは椅子を引き寄せて、彼女の近くに座ってから、その手を握った。
 なんだか冷たい。
 キャロルは静かに息を吸い込んだ。
「それで、どんな魔法を使ったんだ?」
「え?」
「さっき。ずっと集中している様子だったから」
「どんな、ねぇ……」
 キャロルが力なく呟いた。
 しまった、喋るのもしんどいのだろうか。
 そのときアルサフィナが部屋に入ってきた。
「あ、姉さま! 目が覚めたんですね! さすがです!」
 そしてベッドに駆け寄ると、少しはしゃいだ。
「さすが、というのは、おかしいだろう」
 アルスが苦笑すると、アルサフィナは真面目な顔でアルスを振り向いた。
「いいえ、さすがです。あんなにとてつもない魔法を連続して発動して、それでもうお目覚めになるなんて、普通じゃありません!」
「え? そうなのか?」
「はい! 数日眠っていてもおかしくありません!」
 アルサフィナが断言した。
「その魔法って……」
「アルサフィナ」
 アルスが魔法についてたずねようとしたら、キャロルに遮られた。
「はい姉さま」
「撤収後のことを教えてちょうだい」
「はい」
 キャロルは簡易なベッドで目を閉じたまま、少年にたずねた。
 アルサフィナは返事をすると、座っているアルスのすぐ隣にきちんと立って、話し始めた。
「敵は、全員あの場から去った、と思います。
 姉さまを騎士さまに運んでもらっている間も、後をつけられている感じはなかったです」
 そこでちら、とアルサフィナがアルスの顔を見たので、アルスは頷いた。
「ああ、俺もそう思う」
「あの大きな投石機、ていうのは、雷が落ちたもの以外は全部行ってしまいました。残っていた残骸は、木と、鉄の部品みたいなものでした」
 それはアルスも見た。
 なんだか重そうだったが、部品のひとつをアルサフィナが抱えて持ってきているはずだ。
「あと落ちていたのは……ナイフは普通のものでした。矢は木のものと、鉄のものがありました。あとはあとは……」
 アルサフィナが一生懸命考えながら話す。
 キャロルはアルスの手を握ったまま静かに聞いている。
「足跡はたくさんあったけど、特別おかしいなと思うものは見当たらなかったです。でも、馬の足跡はものすごくヘンでした」
 アルサフィナが困った顔でそう言うと、キャロルはゆっくり目を開けた。
「そうね。あなたには、どんなふうに見えたの」
「えっと、まず、数がものすごく多かったです。
 ぼくは隠れていたので後ろのほうまでは見えませんでしたけど、それでも人間の数よりずっとずっと馬のほうが多かったと思うんです。
 だから、あの大きな装置は、馬に引っ張らせていたんじゃないかなって思いました」
「ありえるわね」
 キャロルがゆるく頷く。
「あと馬のほかに、なにか、いませんでしたか?」
 アルサフィナがアルスを見た。
「ほかに?」
「はい。足跡、馬みたいな、馬より大きな、でも馬みたいな、ぼくの知らない生き物かなあ、ていうのもあったので」
「ああ……」
 アルスはキャロルを見た。
 彼女も思い出したのか、少し眉を寄せた。
「魔法は、人が便利に使うのは仕方ないけど、自然を歪ませるのは駄目だと思っているのよ、わたしだって」
 キャロルがそんなことを呟いたので、アルスはうん、と頷いた。
 魔法がどういうもので、どんなことができるのかアルスにはよくわからないけれど、やってはいけないことはあるだろう。
 たとえば、あの六本足の馬だ。
 そして、キャロルが深く溜息をついた。
「そう、自然を歪めるのはよくないのよ」
 もう一度、呟いた。
 馬のこと、だけじゃないのか?
「でも姉さま! 姉さまは命を狙われていたんです! 仕方ないです!」
 アルサフィナがベッドに身を乗り出して、姉のように敬愛する魔術師を、まるで、慰めている。
「自然を歪める、魔法?」
 アレスは少し、考えた。
 彼女が身を守るために使った、自然を歪める、しかも大きな魔法、それは?
「え? もしかして」
「はい! 雨、風、雷! キャロル姉さまはすごいです!」
 アルサフィナは目を輝かせた。
 けれどキャロルはまた、大きく溜息をついた。
「あなたはどう思いまして?」
「え?」
「敵に、天候を操れる魔女がいるかもしれないとしたら、あなたはどう思いまして?」
「それは……おそろしいな」
 思わず、声が漏れた。
 言ってから慌てて彼女を見たら、目が合って、そして頷いた。
「あちらもおそろしいと思って、それで手を引いてくれたらいいのですけど、そう上手くはいかないわよねぇ」
「逆に脅威と思われる、という可能性もある、か」
「そう。まあ、おとりになるつもりでやってるのだから、それでもいいのだけど、でも雷を呼ぶのはもう勘弁だわ」
 それでも姉さまはすごいです、とアルサフィナが繰り返している。
 純粋に、魔法をすごいと言っているだけではないらしい。
 少年なりに彼女の立場を理解して……って。
「いや、そもそもキャロル」
「なにかしら」
「どうして君がおとりになんて、ならないといけないんだ? おとり、というからには、誰かの代わり、ということなんだろう?」
 ああ、とキャロルが納得したのか、感心したのか、なにかしらの表情を浮かべてから、それから正面からアルスを見た。
「それはもちろん、カノープスさまを守るためよ」
 カノープス。
 それはこの国の魔術師の、最高位のおひとりだと聞いている。
 そしてアルサフィナたちがキャロルのことをカノープスと呼んで、彼女に叱られるのを何度か見ている。だから。
「キャロルは、そのカノープスさまの身代わりなのか?」
 言葉を整理するつもりくらいの軽い調子で言ったのだが。
「ちがいます!」
 大きな声で否定したのは、アルサフィナだった。
 びっくりして少年を見ると、彼は少しだけ怒ったような顔をしていた。
「姉さまはカノープスさまなんです! おじいさまの後継者なんです! 身代わりなんかじゃありません!」
 ……なるほど、後継者か。
 その単語で、アルスの中でなにかがいろいろ腑に落ちた。
 魔術師の称号を持っていない彼女が、ほかの魔術師と対等に扱われているのは、次のカノープスさまになる人だと皆が知っているからだ。
 カノープスさまの仕事を肩代わりできるのも納得だ。
 そして、本物のカノープスさまの身代わりになるのにも、適任だ。
「アルサフィナ、落ち着いて。アルスは悪口を言ったんじゃないのよ。騎士っていうのはね、わたくしたち魔術師のことをなんにも知らないのよ。許してあげて」
 キャロルが珍しく、やさしく宥めるように声をかけている。
 その様子と言葉の内容に、さっきのアルスの発言のなにが、このよく働きよく勉強し、よく空気の読める少年を怒らせたのか、まったくわからない。
「え? えっと……なにが」
 口を開こうとすると、キャロルがしっと指を唇にあてた。
 余計なことを言うなということだろう。
「魔術師にはね、派閥があるのよ」
「まあ、力のある機関は大概そうだろうな」
「ええ。カノープスのおじいさまは当代一の魔術師で、そこは疑いようはないのだけれど、なにせご高齢でね」
「お体が悪いのか?」
「それが全然。驚くほどの元気で、いまも国中を飛び回っていて、滅多にお会いすることもないわ」
「そうか。それはなによりだ」
「そうなの。アルサフィナは普段おじいさまのお手伝いをしているから、最近のことならわたしよりずっと詳しいのよ。ね、おじいさまはお元気?」
「はい。とっても」
 アルサフィナはちょっぴりむっとした顔のまま、頷いた。
「なのに、おじいさまのことをあまり知らない人たちは、適当なことを簡単に口にするのよ」
「……たとえば?」
「あの老人はとっくにくたばってるんじゃないか、とかね」
 キャロルが肩をすくめた。
 まあ、人のうわさなんて、そんなものだ。
 でもキャロルをカノープスさまの身代わりと言ったのが、アルサフィナには同じことを意味しているように聞こえたのだろうか。
 そのカノープスさま、というすごい魔術師に、いつか会ってみたいものだ、と心の隅で思った。
「わたしとしては、あの方がくたばるなんて、全然想像もつかないのですけど」
 キャロルが真顔で冗談とも本気ともつかないことを言いながら、自分の手を握ったり開いたりしている。
 動けるようになってきたのだろうか。
「まあ、おかげでわたしはこうやって、自由に動けるのだけどね」
 魔術師の称号とは、やはり受け継ぐとそれなりに責務があるのだろう。
 しかし後継者として育てられたのなら、それはそれで重要な人材のはずで、おとりになるなんてこと、していていいのだろうか……?
「そんな内輪の事情はこれくらいしにして、いまはこれからのことを考えましょう」
 キャロルはいつの間にか離していたアルスの手を握りなおした。
 もう片手でペンダントに触れている。
 回復にはもう少し、か。
「これから、か」
 アルスも頭を切り替える。
 あの敵はなんなのか。
 いまのアルスにわかることは、敵はキャロルを狙っている、ということ、ただそれだけなのだ。