「銀の姫!」
カヤが指定された場所に行くと、三姫さまが少ない供と待っておられた。
今日は三人いるカヤ付きの侍女は、うち二人が別の仕事で抜けており、今カヤの後ろにいるのは一番年下のユノーだけだった。
もちろんキャンサーから追いかけてきたアスカも一緒だ。
「お待たせ致しました」
「よい! たいして待っておらぬ! さ、行くぞ!」
レオの三姫は、カヤより確実にいくつか年上のはずだが、とてもそうとは見えない愛らしい姫君だった。
今日も若草色のふんわりしたドレスに身を包み、緑濃い庭園を進んでいく。
「其方、茶は詳しいか?」
「いえ詳しくはございません」
「では何が好きかの? 花がよいかの?」
歩いていくと、なるほど、手前には花の咲き乱れる庭園やら、遠くには茶の葉を栽培しているらしい畑が見える。
「三姫さまのものなのですか、これら全部?」
「全部わらわのもの、というわけではないの。わらわの名の下で管理はされておるが、わらわが何をするわけでもないからの!」
それは……そうだろうが。
カヤはその獅子宮の隣に広がる庭園をぐるりと見回し、思わず頬を緩めた。
「ほほほ、銀の姫は、宮殿の中よりここのほうがよくてかの?」
姉姫の言葉にはっと顔を引き戻す。
が、慌てて窺った三姫の表情は、特にカヤを見下す色はなかった。
「はい……あの、わたくしは、キャンサーの宮家の傍家の生まれです」
「うむ、聞いておる」
「わたくしの実家は、果樹園を営んでおりまして」
「ほう! そうであるか!」
すると三姫は連れていた侍女になにやら合図を送った。
指示を受けた侍女が、カヤのほうに軽く一礼して立ち去っていく。
「それではわらわの果樹園にお連れしようの! 少し遠いが平気であろう?」
「あ、はい」
カヤが頷くと、三姫は満足そうに頷いて、こっちじゃ、と先導し始める。
少し行ったところに、馬車の轍が通っている場所に出た。
「今、荷馬車を呼んであるゆえ、それで行こうの!」
「荷馬車、でありますか?」
「銀の姫はそれでは嫌かの?」
驚いた。
カヤは、まったくもって平気だが、むしろ三姫に似つかわしくないと思ったのだが。
荷馬車というのはその名の通り、荷物を運ぶための馬車だ。
人が乗るためのものではない。
「わたくしは構いません。家の果樹園でも荷馬車に乗っていましたし」
「そうか! そうであろう! あれは楽しいの!」
ああ、そうか、と思った。
三姫は、なにも着飾ったお姫様ではないのだ。
きっと木も花も、虫さえも愛しておいでのような純粋な姫なのだ。
荷馬車にのって風を切るのも、楽しいと感じられる姫なのか。
間もなくがらがらと荷馬車のやってくる音がする。
御者台にには先ほど去っていった侍女と、そして御者をしている男性が一人座っていた。
「お待たせしました、三姫さま」
侍女がぴょんと飛び降りると、足踏み台を用意する。
こんなドレスでなければ、飛び乗れそうな荷馬車ではあるが、さすがにそこまでするのは、はしたないだろうな、と頭の中で考える。
用意された台を慣れた調子で駆け上って、三姫が荷台へと乗った。
「来られよ、銀の姫」
「はい」
カヤは頷くと、遠慮なく台を上った。
三姫の侍女が手を貸そうとしてくれたが、その前に上りきってしまった。
「なるほど、慣れておいでじゃの」
「三姫こそ」
「もちろんじゃ!」
ころころと笑う姫君は、人形のように愛らしい。
ふたりの後を追って三姫の侍女が一人と、続いてユノーが乗り込んでくる。
そこで、ふと、カヤは思い出した。
侍女のふりをしている、キャンサーの金の姫君のことを。
慌てて振り返ると、案の定、彼女はひきつったような顔をしていた。
彼女は間違いなく深窓の姫君だ。
こんな土の上を歩くなんてしないに違いない。
荷馬車に乗るなんて、怒り出すに違いない。
巨蟹宮での彼女のことなんて知らないが、絶対そうだ、とカヤは思った。
なんとフォローしよう、と焦っていると、すいっとその人が立ち上がった。
三姫だった。
「キャンサーからお越しになった其方」
かわいらしいながらも、でも、凛とした声で三姫がアスカを呼ばわった。
一族の星主に近い親族の姫。
その身分は三姫も、あのアスカも同じだ。
カヤは詳しくは知らないが、単純な星主継承の順位なら、似たようなところなんだろう。
三姫に呼ばれて、きっ、とアスカが見上げる。
「果樹園はここより土臭いし、匂いもするし、虫もおるのじゃ。不快と思われるならここで見送られよ」
つまり。
付いてこなくていいと言われた。
カヤはどきりとした。
アスカはなにかやらかしただろうか。いやな顔をしていたのだろうか。
それはまあ、仕方ない気もするが、それで三姫さまの機嫌を損ねただろうか。
ひやひやしているカヤのことなど気にもせず、当のアスカはぎりっと三姫を睨み返した。
「いいえ、わたくしは姫さまのお付きの侍女……!」
「そのような顔をされては銀の姫もご不快かとお察しするが、如何か」
ぴしゃりと三姫が言った。
それにはカヤもアスカも驚いてしまった。
多分、キャンサーの銀と金の姫たちは似たような顔で、この愛らしい人形のような姫を見上げていたに違いない。
「わらわは侍女だからと言って、嫌がる仕事を押し付けたりはせぬ。其方がいやだと思うのもわからぬではないから言っておる」
「ですが……」
「銀の姫がお楽しみのところに水を差さない自信がおありなら付いてまいられよ」
高らかに言われて、あのプライドの高そうな金の姫がどうするかとカヤは気が気ではなかった。
が、意外なほどあっさりと、彼女は頭を下げた。
スカートを両手で摘んで、淑女然として可憐にお辞儀をしてみせる。
「これは三姫さま、ご機嫌を損ねまして申し訳ございません。確かにわたくし、そのようなところ、不快でございますわ。われらが星主も三姫さまがたにはご懇意にしていただいておりますことですし、わたくし、これにて失礼させていただきます」
可憐に、優雅に。
まるで、パーティから辞す姫君のように。
くい、と上げられた顔は髪は金色だけれど、眸は青いけれど、確かにキャンサーの宮家の特徴を多く受け継いでいる。
同じ特徴を持っているのに、どうして彼女とカヤはこんなにも違う顔をしているのだろうと思うくらいだ。
そしてくるりと背を向けた。
そんな野蛮なことには、付き合っていられない。
アスカの背中はまるでそう言っているようだった。
カヤの庶民的な楽しみに付き合うつもりはないのだと。
ここにいるのは三姫で、レオの君そのひとがいるわけではない。
なら、彼女がカヤにくっついている必要はない、と。
そういいうことだろうか?
「おや、本当に行ってしまわれたの」
拍子抜けしたような三姫の声がした。
カヤはがばっと勢いよく振りかえる。
「三姫さま、申し訳ございません、大変ご無礼を致しました」
平謝りだ。
カヤは悪くない……とはいえ、キャンサーの星主は自分。
アスカが、キャンサーの姫君だろうが、本当に侍女だろうが、責を負うのはすべてキャンサーの星主だといわれたら、カヤには反論できない。
「よいよい。挑発したのはわらわじゃからの」
三姫はころころと笑った。
それは機嫌を損ねたふうには見えなかったが、本当にこの姫が機嫌を損ねたならば、それをカヤには察せさせないと思うのだ。
それが、本当の誇り高き姫君ではないのか。
「なに、あれが嫌そうな顔をしておったから、顔に出すなと言いたかったんじゃが、どうもそれより我慢できんかったようじゃの!」
「はあ、申し訳ありません」
「別におかしいことでもあるまい? 苦手なものもおるのじゃ。のう、ユノー」
そしてカヤにつけてくださっている侍女に言うので、カヤは驚いた。
この数日、身の回りのことをぱたぱたとこなしてくれている年下の侍女を振りかえる。
「ユノーも嫌だったのか?」
「いえ、姫さま、違います」
するとユノーはにっこり笑った。
いつもどおりのかわいらしい笑顔だ。
カヤが疑問の顔をしていると、ユノーが教えてくれた。
「三姫のお庭が苦手なのは、ケレスとパラスですわ、姫さま」
言われて。
びっくりした。
けれど、少し考えて、ああそうなのか、と思った。
「それで……今日はケレスとパラスはわたしの付き人でないのか」
「ええ、そうなんです。申し訳ありません」
「いや、謝ることなんてないんだが」
「そういうことじゃ。では、行こうぞ!」
三姫が号令のような宣言のような一声を上げられると、御意、と御者が馬の手綱を引いた。
ゆるくがくんと揺れて、それから荷馬車はごとごとと動き出した。
この揺れる感覚も、なんだか懐かしい。
「気持ちよいの」
ふわふわの髪を風に遊ばせ、三姫が言った。
「はい」
カヤは深くひとつ、頷いて返事をした。