「考えていたのだが」
いきなり背後から声がして、カヤは文字通り、飛び上がりそうに驚いた。
「な……っ! なんだ! 起きていたのか!」
眠っていると思ったのだ。
レオの君……ジュエは、恐ろしく寝つきがよく、どこでもすぐに仮眠を取ってしまう。
「いや、今目覚めた。それでだな」
木陰で横になったまま喋るジュエに、カヤは彼の表情が見えるところまで近づいてみた。
が、眠ったようなままその唇だけが言葉を紡ぐ。
「キャンサーには、本当に其方以外に星主になれそうな者はいないのか?」
この男は、なにを考えていたのだろう、というのが、正直カヤの感想だ。
「いないから今のところわたしが星主をやるハメになっている。悪かったな」
言い返して、ジュエの隣に座ってみる。
それでもかの、黄金の星主は横になったまま、目も閉じたまま。
「悪くはない。おまえと俺は生まれた土地が違うから、おまえが星主にでもなってくれないと、俺はおまえと出会う機会もなかったということだからな」
「……」
それは確かにそうなのだが、出会ったとこの利点がまったくわからない。
「それで。ジュエはなんの話がしたいんだ?」
わからないので、正面からたずねてみると、ジュエはぱちっと目を開け、カヤを見て、その美しい顔を綻ばせた。
あまりにも綺麗に笑うものだから、カヤは思わずその顔に見入ってしまった。
「なんだ。今更俺の魅力に気づいたか」
「馬鹿な。……あ、いや、まあ、貴殿が美人なのは否定しないが」
「ほう? これは褒められたのか?」
「事実を言ったまでだ。顔だけは良い。性格には多少難ありだ」
「そうか?」
ゆっくりと起き上がったジュエはそのまま、とても自然に、カヤの頬に口付けた。
カヤが、ジュエが離れていくのを見て、それでようやく事態に気づくほど、自然に。
「……やはり、難ありだ。なにをやっているんだ、貴様」
「なにって、愛情表現だが?」
あまりにも当然のように言われて、なにかが間違っている、とカヤは頭を抱えたが、それもなんだか今更のような気がした。
だめだ。
彼のペースに巻き込まれている。
「おまえが名を呼んでくれたのが嬉しくて、つい、な」
美しく、微笑んだままジュエがそうのたまった。
はあ、とカヤは複雑な思いを口にする。
「気づいたのだが……其方、そういうところは意外と子どもっぽいな」
遠慮なく言うと、ジュエは、かなり驚いた様子でカヤを見返した。
これはさすがに言いすぎだっただろうか、と内心カヤが心配するほどに。
けれど謝るのも癪だし、だいたいそういう態度をするのはジュエのほうだし、と少し強張っていると、ジュエはどこか感心したようにカヤを覗き込んできた。
「そんなことを言われたのは初めてだ。おまえ、そんなふうに見えるのか」
「み、見えるというか……! も、もう、その話はやめよう。わたしが悪かった」
「いや悪くはないぞ」
ジュエはにこりと笑う。
居心地が悪い。
あの、にやり、と笑ってくれるほうがマシというものだ。
「互いに理解が深まったということで」
「……なんとなく釈然としないんだが」
額を曇らせているカヤに、ジュエは、にやり、と笑った。
そして話を戻した。
「考えていたのだ」
そう。
彼は目覚めて開口一番にそう言ったのだ。
何の話だったのか。
微風に金の髪をわずかに躍らせる金の星主の横顔を見つめる。
青の双眸はなにを見ているのか。
カヤの前で、ジュエは口を開いた。
「おまえを手に入れるには、キャンサーの星主の代用が必要だ」
さらり、と。
紡がれた言葉の意味が。
カヤは咄嗟には理解できず。
「…………はあ?」
間抜けな声で返してしまった。
ぽかんと見返すカヤに、ジュエはにやりと笑いかける。
「昨日、そう言っただろう?」
なんの話かわからず、置いていかれている、とカヤは思う。
「な、なにが、だ?」
「おまえを娶るのは簡単ではない。だから方法を考えているところなのだ」
「ちょ……、貴様、な、なにを言っている?」
星主の代用?
方法?
なにを言っているのだ、この男は?
「昨日、そう言っただろう?」
ジュエはもう一度言った。
「今の俺が、今のおまえを手中にするには、問題が大きく二つある」
「ちょっと待て! 貴様、いくらなんでも話が飛躍しすぎだ!」
「そうか? 最初からそう言っているぞ。おまえは、俺の好みのいい女だと」
納得、いかない。
「問題のひとつは、おまえが星主だということだ。一領地の主を変えるのは大変なことだ」
当たり前だ。
混乱したままカヤは目の前の男を見つめる。
「もうひとつの問題は」
レオの君はそこで言葉を止め、ちら、と横目でカヤを見た。
どこか冷たい、客観的にこちらを見る目だ、と思った。
けれど。
「肝心のカヤを振り向かせることだな」
「な……っ」
なにを勝手なことを、と思っていたが。
ジュエは現状をちゃんとわかっているのかもしれない。
だいたい、出会ってから何回顔をあわせたと思っているのだ。
いくら顔が良かろうが、大きな権力を持っていようが、そんなものだけでカヤは絶対なびいたりはしない。
と、思うのだけれど。
その前に、すべてにおいてジュエのほうが優れいてるのに。
どうして自分のことなど……そんなに気にかけるのだ?
いまひとつ、この男の真の意図がわからない。
「おかしいぞ、おまえ。こんないい男に口説かれているのに、どうしてそんな難しい顔をしているんだ」
「くど……、いや、貴殿のことが、よくわからない」
「やれやれ」
ジュエは苦笑しつつ、手を伸ばした。
カヤの銀の髪にそっと触れる。
そっと撫でる。
カヤの視線がその手とジュエの顔の上を彷徨った。
「深い意味などないさ」
カヤの不安げな視線に答えるように、ジュエは口を開いた。
「ただ言葉のとおりだ」
髪に触れていた手に、少し力が入って、けれどそれを振り払うように、ジュエは自分から手を離した。
「そろそろ戻るか。もう一箇所、回って、それから帰るからな」
「あ……、ああ、わかった」
立ち上がったジュエが、すっと手を伸べてきた。
思わず手をとって、はっとしたが、ジュエはにやりと笑ってカヤの手を強く握った。
振り払おうにも離してもらえず、そのまま立ち上がる。
「なんだ、少しは動揺したのか」
「……かなり動揺した。全然意味がわからない」
「ほう、素直だな」
ジュエはくつくつと笑うと手を離し、ふわり、と表現するのがふさわしいように、カヤの身体に両手を回した。
「は……?」
抱き寄せられてから気づく。
どうしてこの男は、こんなに優しいのだ?
どこまで本気で、どこまで冗談なのか、自分には全然わからない。
レオの星主という男を自分はあまり知らないので、その境界に見当がつかない。
「……おまえ」
ぼそり、とジュエが呟いた。
ぎくり、とカヤが強張る。
「俺の努力が実っていい雰囲気なのかと思ったが、違うな。おまえ、単に俺を疑っているだけだろう?」
あまりにも図星なのでカヤは驚く。
自分が彼を理解していないのとは反対に、どうして彼は自分のことがこうもよく見えているのだ?
カヤは不思議でならない。
「う、疑いもするだろう?」
「そういうもんかねえ?」
軽く溜息などつきながら、ジュエはカヤを開放した。
「まあ、おまえが愚かでないが故、ということで大目に見てやる」
「は? な、なにが大目に、だ!」
まるで高いところから見下ろして、評価するように。
ジュエはさっさとひとり歩き出す。
さっき言ったとおり、この聖なる丘から降りるのだろう。
カヤは金の星主に背を向けて、ひとりで大きく深呼吸をした。
まったく。
なんなんだ、あの男は。
徹底的に自己中心的じゃないか。
どうして自分があんなやつに振り回されなければならない。
息を吐き出すと、きっ、と振り返り、レオの星主を追いかけた。
ジュエは、振り向かなかった。
よかった、と思った。
普段どおりの顔に戻るまで、このあやふやな自分を見られるのも、笑われるのも、いやだと思ったから。
カヤがそう思っていることも、ジュエには気づかれているのかもしれない、と、思いながら。