視察 2

 レオの……ジュエの舞は、美しかった。
 少し息の上がったレオの君が、カヤの見守る木陰へと近づいてくる。
 なんと声をかければいいのかわからず、無言で迎える。
 レオの君もカヤに声はかけず、どさりと木の根元へと腰を下ろした。
 そして。
「おまえも座れ」
 顔を上げずに言い放つ。
 その傲慢さはとても彼らしいと思うと同時に、素直に聞くのもどこか腹立たしい気がした。
 そんな一瞬の躊躇いを見破ったように、黄金色の髪の隙間から、レオの君がカヤを見上げた。
「なんだ。取って喰いはせん。少し休むからおまえも座って待てと言っている」
 優しいのかなんだかよくわからない。
 仕方ないな、という雰囲気を纏って、やれカヤが腰を下ろすと、それにあわせてレオの君が姿勢を変えた。
「れ、レオの……」
「ジュエだ」
 レオの君はカヤの言葉と、手を振り払う。
 抵抗しようとした手を振り払って、先日と同じように、カヤの膝に頭を乗せてきた。
「だから……貴様はっ……!」
「照れずともよい。誰も見てはおらん」
「そういう問題ではないと、こちらも何度も言っている!」
 払いのけようとしたカヤの手を、けれど、今度はレオは掴んだ。
 紅色の視線で睨みつけるが、黄金色の星主はカヤの膝の上で目を伏せた。
 そして捕まえたカヤの手を引き寄せ、その手のひらに口付ける。
「……っ」
「おとなしくしていろ。喰うわけじゃないと言っただろ」
「はっ!」
 カヤは吐き出すように応えた。
 レオの手から自分の手を引き抜く。
「喰うわけじゃない? よく言う!」
 引き抜いた手でレオの君の頭を押し返そうとしたところで、その金髪がむく、と浮いた。
 そして、カヤの膝から少し浮いただけのところで、レオは顔だけをこちらに向けた。
「なにが不満か? お望みなら喰ってやっても良いが?」
 どこか冷たい視線で言ったレオの顔が、今度はぬーっと近寄ってきた。
「…………っ!」
 レオは起き上がりもせず、そのままの姿勢でカヤの上に覆いかぶさってくる。
 思わず後ろに手をついて後退るが、まるで這い上がってくるようにレオの顔が、体が、迫ってくる。
「や……やめろ、貴様っ」
「取って喰ってやろうと言うんだ。それでいいのだろう?」
「ば、馬鹿者っ!」
 けれどカヤはもう口先だけで、レオに圧し掛かられて地面に押し倒されていた。
「やめ……っ!」
 両腕で顔を隠すように逃げる。
 そして自分が身に纏っているワインのような赤いドレスを思い出す。
 初めに着させられた鮮やかな赤いドレスと違って、良い色だと思ったのに。
 自分にも似合うかもしれないと、思ったドレスなのに。
 それが汚れてしまう、なんて。
 こんなときにそんなことを思い出す自分が、どこか滑稽だった。
 びくっと身体を強張らせる。
 が、予想に反して、ジュエの手は乱暴などではなかった。
「……カヤ」
 名を呼ぶ。
 そっと手を押しのけようとする。
 いつの間にかぎゅっと瞑っていた瞳を、カヤは、恐る恐る開いた。
 見上げれば、輝くような金の髪の、相変わらず美しい顔のジュエが、カヤを見下ろしている。
「そんな顔をするな、馬鹿」
 そしてきつくも強くもない口調で、呟くように言った。
「本当に喰うわけなかろうが」
 カヤを見下ろしたまま、静かな口調を降らす。
 手を離すと、いつものようにカヤの銀の髪を撫でた。
「……貴様なら、何をするかわかるか」
「そいつは信用ないな」
 ジュエは苦笑すると、髪から手を離し、指でカヤの頬に触れた。
 また、びくり、と身体が反応する。
 ジュエが触れてくる感触は妙に優しく、いっそのこと振り払ってしまうには、少し躊躇われた。
 かといって甘受するものでもないのだが……。
 束の間の逡巡の後、カヤがその手を押しのけようとした……のだが、その前に、ジュエは自ら手を退け、身体をずらした。
 覆いかぶさられていたのが突然開放され、一瞬放心したカヤだったが、慌てて起き上がる。
 変わりに隣でごろんと横になるジュエを見下ろす。
「…………」
 なんなんだ、こいつは。
 カヤはその、まるで寛いだふうの男を見下ろして、わけがわからない、と思った。
「カヤ」
 寝転んだまま、ジュエがまた、名を呼んだ。
「……なんだ」
 ぶっきらぼうに答える。
 するとジュエは悪戯っぽく片目を開けて、にやり、と笑った。
「そう怒るな。ちょっとからかっただけだろう」
「からかっただけ、だと?」
「本気のほうが良かったか?」
「なっ……! 貴様はいつもそう……!」
「本当はな」
 ジュエは再び目を閉じて、すうっと静かな息をした。
 このまま眠ってしまうのではないか、というくらい静かに。
 言葉の続きはないのでは、と思ったが、少しの間の後、ジュエは静かに唇を動かす。
「本気でも良かったのだ」
「はあ?」
 思わず裏返りそうな声になる。
 こいつは、何を言っているんだ?
「だが、それで其方に嫌われたら、話にならんだろう?」
 何を……言っているんだろう。
 言うだけ言ったらすうっと息をして、また静かになった。
 カヤが口を開く前に、ジュエはまるで眠ったようになってしまう。
(この男……本当に、わからない!)
 カヤは内心で盛大に喚くと、眠る金の星主の隣から立ち上がり、少し離れたところでドレスをはたき始める。
 幸いたいして汚れてはいないようだ。
 ちら、と振り返れば、木陰でレオの君はお休みのようだ。
 彼の驚くほど寝つきがいいのには何度か目にしているが、きっとあの調子だから激務をこなしていけるのだろう。
 もともとそういう体質なのか、必要で身につけたのかは知らないが。
 少し休んだら、きっとまた、もとの調子で立ち上がるのだろう。
 おかしな、男だ。
 ふいっとレオから視線を外す。
 星見の丘を勝手にふらふらも出来ないが、心地よい風の中、カヤはレオの領地を見下ろす。
 ふもとに広がる街並み。
 遠くへと続く街道。
 ここは、キャンサーとは違う、豊かな領地だ。
 何が違うというのだろう。
 ただ、壁を隔てて隣接する、同じ土地のはずなのに。
 繁栄の差異はなにも数日で異なるものではない。
 だから自分のせいでないことはわかってはいるが、それでも、キャンサーとレオの違いが、自分とジュエの違いのように見えてならない。
 この土地は、ここを治める星主と同様、黄金色をしているように見えた。

2008/02/18