舞特訓 1

 くるり、と。
 ふわり、と。
 空色のドレスと、新緑色のドレスが舞う。
 美しい、と思った。
 控えている侍女たちも、皆見慣れているのだろうはずなのに、うっとりと見つめている。
 カヤは、湖のような青いドレスを着て、それを見ていた。
 踊っているのはレオの二姫と三姫。
 背が高く凛々しい雰囲気の二姫が男役で、純真な少女たる三姫をエスコートしている。
「其方……ダンスは得意か?」
 小さな声でたずねてみた。
 座っている椅子のすぐ隣に控えている、同胞の姫に、だ。
「え? ええ……まあ、一応」
 とても侍女とは思えない口調で返答される。
 かといってカヤは咎めたりはしない。
「はっきり言ってわたしはダンスは苦手だが」
 カヤは軽く溜息をついて、風に吹かれる花のように回る三姫を見つめる。
 あれが自分が踊るダンスと同じなんて、とても思えない。
「其方なら上手く踊れるのか」
「……馬鹿にしないでくださいませ。わたくしたちは幼少時からずっと習ってまいりましたのよ」
「ああ……そうか」
 つん、と怒った顔をする傍らの金の姫、今はアスカという名のカヤ付きの侍女だが、そんな彼女でもニ姫と三姫のダンスは美しいと思うのか、睨むように見つめている。
 あるいは。
 自分にある程度自負のある彼女だからこそ、素晴らしい踊り手に嫉妬しているのかもしれない。
 カヤにはただ、羨望しかないけれど。

 室内楽の音が止む。
 ほんの五人ばかりで演奏している音楽だが、踊り手が素晴らしいと、全体が高まっていく感じがする。
「素晴らしゅうございます、ニ姫さま、三姫さま」
 カヤは立ち上がって感想を述べる。
 とっとっと、とはねるようにとんで三姫がカヤのもとにやってくる。
「ささっ! 次は姫の番じゃ!」
「は……ですが、何度も申し上げておりますように、わたくしは真にダンスは苦手で」
「大丈夫の!」
 どこからくるのか、三姫は自信満々に答えた。
「そのために今日は姉上がおるの! それに!」
 それに?
 なんだろうとカヤは三姫を見返す。
 三姫は、レオの君の姉君なのだから、カヤより年上のはずなのだが、背丈はカヤのほうがやや高い。
「我らが弟が、姫のことを悪く言わなかったの!」
「はあ……」
 またあの男は、なにを言ったんだろう、と内心思った。
 記憶の中のレオの君が、にやり、と笑う。
 どういう冗談で、言葉遊びなのかわからないが、レオの星主はときどきカヤのことを、褒めたり……まあ、なに、冗談を言ってくる。
 頭のいい男はなにを考えているのかわからない。
 もしカヤに、もう少しでも自信があって、もう少しなにか欲があったら、喜んでつけ込みそうなのだが……それすら出来ない自分は相当器が小さい、と思う。
「まあ、とにかく」
 ダンスを終えても少しも息の上がっていないニ姫が、軽くカヤに手を伸ばしてきた。
「下手なら下手で指導しがいがあるというものだ。
 我が弟が姫のことを悪く言わなかったのは事実であるが、我になんの偏見もなく一からすべて教えてやって欲しいと言ってきたのも我らが主さまじゃ。
 よって、我はそれを実行する。我が主に従うゆえ」
「は……はい」

 獅子宮は、素晴らしいところだと思った。
 皆が星主に傾倒していて、個人的にはさておき、星主はそれを知っていて答えようとしている。
 星主の三人の姉姫はそんな星主のよき理解者であると同時に、支援者でもある。
 内部に亀裂など探せやしない。
 レオの君のことも、少しは理解してきたと思っている。
 口や態度は少々悪いが、頭はいい。
 カヤを困らすこともよくするが、見えないところで手回ししていることは想像以上だ。
 だから。
「……よろしくお願いいたします」
 彼の言葉は間違っていないのだろう。
 悪くは言わないというが、そういえばあの態度で、あの口で、レオがなにかの悪口を言っているところを、カヤは聞いたことがないように思う。
 それとも普段は言うのだろか。
 ダンスのことといえば、確かに自分はかの君と踊ったことがある。
 それでニ姫に指導を頼んだというのなら、やはりまだまだだとレオは思ったということか。
 観念してニ姫に近づく。
 今日は青い衣装を着させられた。
 裾のあまり広がらない、けれど動きやすさに問題ない、カヤの好みのタイプだった。
 なんでもニ姫からの贈り物だという。
 昨日は一姫と揃いのような衣装でひどく恐縮したものだが、今日は同じ青と言っても、ニ姫は青空のような色で、カヤのものは深い色をしていた。
 昨日の紫の衣装が気に入らないわけでは決してないのだが、今日の衣装はカヤも落ち着いて着られると思ったものだ。
 今朝も着替えを手伝ってくれたパレスは、この衣装を似合うと絶賛してくれた。
 髪を結ってくれたケレスもお似合いですと言ってくれた。
 なのでその点は今日は出だし好調と言えた。
「それでは銀の姫。まずはわたくしと一曲踊ってくださいませ」
 二姫が、まるで男性のように申し込みの仕草をする。
 カヤはひとつ息を吸い込んで、指先に神経を集中させる。
 両手で衣装をつまんで、軽く持ち上げる挨拶から。
 足の角度は……。
 お辞儀をしたところでカヤは動きを止めた。
 お受けすると返事をする前に、ニ姫が立ち上がってしまったのだ。
 目が合うと、ニ姫はわずかに目を細めた。
「作法どおりのご挨拶、よく出来ておる」
 そしてまるで、褒めるように言ったが……これは、褒められてないよな、と思う。
「確かに作法どおりじゃ。ご覧。三姫」
 二姫は少し離れたところで見ていた三姫に声をかけた。
 すると三姫は意図を解して、座っていた椅子から立ち上がると、優雅に挨拶の作法どおりお辞儀をした。
 カヤが先ほどやったのとまったく同じ動作だ。
 が、ふんわりと広がるスカートが、三姫をますます可憐に見せるのと、先ほどのカヤの様子とは、同じとは言いがたかった。
「三姫はかわいらしいからあれでよい。もう少し見せようか? ユノー」
 カヤ付きの侍女の一人を呼ぶ。
 カヤが振り返ると、控えていたユノーが、壁際でお辞儀して見せた。
 美しい衣装を着せられているカヤより、侍女の彼女のほうが可憐に見えるとはどういうことだろう。
「銀の姫と同じ作法じゃ。が、作法は基本であって、それさえすればよいというものではない。ダンスだけではない。挨拶だけでもない。基本を知っていて、それができるのであれば、其方は其方らしく振舞えばよいのじゃ」
「は……はあ」
 言われることは、わかる。
 基本は、基本だけは、一応習ってきた。
 けれど。
「では先ほどの作法どおり、我がやったらどうであろう」
 言うなり、ニ姫は自ら可憐な仕草でお辞儀して見せた。
「どうじゃ?」
「え……かわいらしゅうございますが」
「じゃろ。おかしいと思わぬか」
「は?」
 すらりと背の高い二姫は、薄く笑ったまま背筋を伸ばした状態から、もう一度お辞儀をした。
 それは……まるで紳士のような礼だった。
 けれど、違和感なく美しかった。
「これはどうじゃ」
「はい……その、とても、ニ姫さまらしいかと」
「であろう?」
 二姫はにこりと笑った。
 笑うと、ニ姫が一番レオの君に似ていると思った。
「だから其方も其方らしく振舞えばよい。そういう意味じゃ」
 カヤは……頷けなかった。
 言われることはわかる。
 素晴らしいと思う。
 けれど……自分らしいとは、どんなことだ?
 田舎から呼び出されて、突然星主に担ぎ出された自分。
 味方などいない場所で、それでも虚勢を張っている自分。
 自分らしいとは、どんなことだ?
「と、急に言われても難しかろう。もう少しお見せしようか。……パレス」
 表情を硬くしたカヤに、ニ姫は再び、カヤにつけている侍女を呼んだ。
 パレスははい、と返事して、ユノーの隣で挨拶のお辞儀をして見せた。
 カヤとしては……なにが衝撃かというと、基本の動作ではない見本を、侍女にやらせてしまうことに衝撃だった。
 そしてパレスは両手でなく、片手で衣装をつまむ、ニ姫さまと似た動作をした。
「それから、ケレス」
 パレスの隣に控えていたケレスも、同じように、けれど違うように挨拶する。
 両手で衣装をつまむのは一緒なのに、かわいらしいというよりは、凛々しい雰囲気だ。
 侍女たちを仕切ってくれるケレスらしいと思った。
「と、言う感じじゃ。なに、今すぐ其方にやってみろとは言わぬから、ちょっと考えてみるがよかろう」
「は、はい……」
「なに、悩むことはない。それに悩む暇などないぞ。我は先を急ぐ」
「は?」
 まさしく頭を抱えそうになったカヤに、ニ姫は手を伸ばした。
「ダンスの授業じゃ。考えていてもダンスは上手くはならないのでな」
 まるで紳士のように。
 二姫はカヤをエスコートして、室内楽の演奏家たちに注文を付け始める。
「そのように不安そうな顔をせずともよい。そうだ、其方によいことを教えよう」
「……なんでしょうか」
「目標を持つとよいぞ。具体的にな」
「はあ」
 あやふやに答える。
 それはそうだろうが、なにが言いたいのかよくわからない。
「この場合は……主さまが驚くほど上達してみせる、という目標を推奨するぞ」
「は?」
 二姫がいたずらっぽく笑った。
 カヤは思わず目を丸くした。
 主さま……すなわち、レオの君だ。
 ダンスとは、普通は男性相手にするものだ。
 ふと、昨夜の会話を思い出す。
 明日、すなわち今日は少し顔を合わせられると言っていなかっただろうか。
 あの男、いつ現れるつもりだ?
 カヤとは違って、こちらの予定を獅子宮の主はすべて知っている。
「なるほど……」
 カヤは思わず呟いた。
「その目標は、よいかもしれませぬ」
「その意気じゃ」
 二姫が笑った。
 カヤの手をとって踊りだす。
 その手に導かれて、カヤが踊りだす。
 三姫さまのように可憐には踊れないけれど。
 自分らしいとはどんなものだろう。
 考えても答えの出ない問いかけを繰り返しつつ、そんなときになぜか、レオの君の顔が脳裏をよぎり、ときに眉をひそめるカヤだった。

2007/07/30