金の姫 4

 先触れなく到着した星主に、けれど驚いたものはいなかった。
 家族だけが会する食堂の扉を、控えていた侍女が開けてくれる。
「主さまのお越しでございます」
 呼び声と共に足を踏み入れれば、長方形のテーブルには三人の姫君が向かい合わせに座っていた。
 表情を少しも変えない一姫の正面で、客人の銀の姫が、まるで、聞いてないぞというような顔をしたのを、ジュエは見逃さなかった。
「これはこれは。多忙極める我が弟君が、この時間に顔を見せるなど、いつぶりであるかの!」
 非難がましくからかう三姫に、これは手厳しい、と返事を返す。
 テーブルを迂回して自身の席に向かおうとすれば、カヤが挨拶すべきかとそわそわしていた。
 ジュエは彼女の後ろを通るときに、ぽんと肩を叩く。
「気遣いは不要。食事は口に合うか?」
「あ、ああ……、はい。大層……」
「難しい挨拶もなしでいいぞ」
 開きかけたカヤの口を言葉でさえぎる。
 席に着くとほぼ同時に、侍女たちがジュエの前にスープを運んでくる。
「それよりも、姫」
 手を止めてこちらを見ているカヤに、食べろと合図を送り、自分もさっさと手を伸ばした。
「一姫が其方に付き合えるのは今日限りだが、どうだ。其方、優秀な生徒か?」
「……わたしに訊かれてもな。無論、わたしは真剣だが?」
「そうか、それなら良い」
 鷹揚に頷けば、なにが良いんだ、とでも言いたげな顔をして、けれどジュエに倣うように食事を再開する。
「姉上。姫はそう申し上げておりますが、姉上はいかがですか」
「これ、姫に失礼なことを申すではない」
 一姉は面白そうに笑った。
「銀の姫がおっしゃるとおりだ。優秀な生徒かどうかはわたしが決めることだな。そして姫がおっしゃるとおり、彼女は真剣にすべてを吸収しようと努力されている」
「姉上がそのように評価されているのなら、問題はありませんね」
「だからそれが失礼だというのに」
 そういいつつ、一姉は微笑む。
 どうやら機嫌が良いらしい。
 それはそれで、ジュエとしても心地よいことで問題ない。
「主どの!」
 そのとき三姉が割り込んできた。
「わらわには銀の姫をいつお貸し下さるのかの!」
 驚いた顔をするカヤに苦笑しつつ、ジュエは返事に少し困る。
「ああ、そのことですが姉上。明日は二姉さまの先約がありますし、明後日はわたしの視察に同行させようかと思っているのですが」
 ジュエの台詞に今度は驚いたようにカヤがこちらを振り返る。
 が、ジュエはそれには答えない。
「では明々後日はわらわの時間かの!」
「姉上……それではわたしが姫と過ごす日が一日もありません」
「知らぬ! そなた忙しいのであろう!」
 ぷん、と意地を張る姉に、カヤが今度は目を丸くする。
 随分と表情に表すようになったものだと、銀の姫を盗み見ながら、レオの君は姉をなだめにかかった。
「姉上、姫はわたしの客人ですよ?」
「嫌じゃ。わらわにも貸したもれ。銀の姫を是非、わらわの果樹園に案内したいのじゃ!」
 三姉がそう言った時。
 カヤが、反応した。
 何かに驚いたように、びくり、と身を振るわせた。
 それは密かに盗み見ていたジュエだけでなく、同席していた一姫も三姫も気付いたくらいだ。
 視線が自分に集中してから、カヤは慌ててレオの宮家の姫を見比べる。
「あ……し、失礼しました」
 逃げるように、隠れるように、視線を落とす。
 二人の姉が、ジュエに視線を送ってくる。
 そんなことをされなくとも、ジュエは心得ているが。
「銀の姫」
 侍女が控えているこの場では、名を呼べないのがもどかしい。
 カヤが少し顔を上げ、ジュエと目を合わせる。
「其方、我が三姉の果樹園に、興味を持ってくれたのか?」
 金の星主の言葉に、紅い瞳が熱を持った。
「あ、あの……レオの君」
 カヤが口を開く。
 誰も遮る者などなく、ジュエは正面からカヤの顔を見つめつつ、その先を待つ。
「レオの君の都合をわきまえず、かようなことを申し出るのは無礼と承知でお頼みしたい。わたしは、その、三姫さまのお誘いを、是非ともお受けしたいのだが……駄目、かな?」
 それは、お願い、と呼べる範疇だった。
 ジュエの中での予定が別にあるらしいとわかった上で、変えられないかとお願いされた。
 すべては自分の思うとおり、計画通りにしか物事を進めるつもりのないジュエではあるが、この予想外のお願いに、このまま計画を遂行するのは難しいと、つい、思ってしまった。
「……其方が、そうしたいと言うのなら、考えぬでもない」
 本当か、と。
 言葉にはしなかったものの、カヤの表情がそう応えた。
 ジュエは、ふ、と息を吐く。
「姉上。銀の姫にこう言われてしまいましたから、姫をお貸ししますよ。ただし、半日だけですがね」
「あいわかった!」
 機嫌よく答えた三姫に、カヤが会釈する。
「よろしくお願い致します」
「一緒にゆこうの! 姫のこともいろいろ教えてたもれ!」
 三姉はいつもこの調子ではあるが、カヤのことを気に入ってくれたのだろうか、とジュエは思いつつ、ひとり黙々と食事をすすめる。
 そのあと執務上の会話を一姉と交わし、そういえばバーゴの使節団はどうでしたと三姉に振れば、なんのことはない、といつものような返事が返り、そして最後にカヤに、なにか不便はないかと問えば、これもいつものように首を振って、良くしていただいています、としか答えなかった。
 三人の姫が食事を進める中、ジュエは一足先に食事を終えた。
 様子に気付いて侍女が茶を出そうとするのを制する。
「それでは姫君、姉上方、わたしは先に失礼します」
 告げれば、頷く姉姫たちとは対照的に、銀の姫はこちらを見上げてきた。
「なんだ? ねぎらいの言葉でもくれるのか?」
 にやりと笑って見下ろせば、カヤは少しむっとした顔をした。
「政務、ご苦労であられるな」
 ぶっきらぼうに労われて、ジュエは苦笑する。
「仕事の途中で来られたのか、と思ったのだ」
「まあな」
 こんな態度ではあるが、銀の姫はレオの星主のことを気遣っているのだと思った。
 強引に連れて来たとはいえ、自身がここでどれだけ世話になっているか、わからないほど愚かな姫でもないということだ。
「とは言っても、俺の仕事に終わりなどないからな。いつだって途中のようなものだ」
 執務室に積み上げられていた書類を脳裏に浮かべつつ、肩をすくめる。
「……そうか」
 カヤはなにを思っているのだろう。
 同じ星主という立場でありながら、自身とジュエの違いに何を思っているのだろう。
 違うのは、仕方がないし、当然のことだ。
 宮家というのは、家によって違う。
 レオは宮家の力が殊更強い。
 そしてキャンサーはどちらかというと、反対だ。
 だから同じようにはなりはしない。
 仕組みも異なるだろう。
 ジュエでさえ楽ではないこの仕事を、カヤに同じだけやれとは、むしろ言いたくなどない話だった。
 だから。
「其方には其方の仕事がある。それをしていれば良いのだ」
「……うむ。わたしの、仕事、か」
「そうだ。とりあえずここに居る間は、其方自身の向上と、姉上方の機嫌取りと、俺の相手をしてくれさえすればそれでいい」
「レオの君」
 非難めいた紅い双眸が、軽くジュエを睨みつける。
 ジュエはそれにこたえる代わりにくつくつと笑うと、カヤが纏う、一姉が贈ったものであろう紫色のドレスの肩をぽんと叩いた。
「それではまたな、キャンサーの姫」
 そして歩き出す。
 侍女が扉を開けてくれる。
 そして控えていた侍女が、自分の執務室からついてきた者だと気付いた。
 彼女がここに到着したのは、気付かなかったが。
 山積みの書類の待つジュエの砦、執務室に戻る道すがら、後ろを歩く侍女が声をかけてきた。
「主さま、それで、ご覧になられました?」
「ん? なにをだ?」
 ちら、と振り返るが、その後は前を向いたままさくさく歩く。
「キャンサーの姫のお付という方ですわ」
「……。ああ、忘れていた」
「まあまあ。主さまは銀の姫しかお目に映りませんのね」
「……で。どうだった、其方はしかと見たのであろう?」
 食事の間中あそこにいたのだ。
 彼女は給仕はしないはずだから、それはそれはよく、観察できただろうと思う。
「あの方は、侍女ではありませんわね」
「ほう。働き慣れていなかったか」
「いいえ。それ以前に、自分が働くべきとは、少しもお感じではなかったようです」
 ふ、と笑った。
 なんとなく、想像がついたからだ。
「ほう。それで彼女は、なにをしていた?」
「それはそれは熱い視線で見つめておりましたわ」
「……? なにをだ?」
「我らが主さまをです」
 どうせそんなところだろう、とは思っていたが、こうもきっぱり言われると、少々背中がむず痒い。
「そうだったか?」
「主さまは、銀の姫さましかご覧になっておられませんから、気付かなかったかとは存じますが」
「そう嫌味ばかり言うな」
「滅相もございません」
 執務室で使っている侍女は彼女とあと一人、そして年長の女官がひとりだ。
 三人とも、それなりの目を持っていると、ジュエは知っている。
「さて、では其方に問おう」
「なんなりと」
 前を向いて歩くジュエには、後ろを着いてくる彼女の顔も姿も見えなかったが、彼女が軽く頭を下げたのはわかった。
「そのキャンサーからの客人、何者と思う?」
 答えは、ほとんどわかっていた。
 姿など見ずとも、選択肢は限られていた。
 きっと姉上は気付いたのだろう。
 そして、自分にはわざわざ告げはしなかった。
 それはそうせずとも、容易く判るからだ。
「はい」
 証拠に。
 言ってしまえば一介の侍女でしかないはずの彼女が。
 迷いもせずに言い切った。
「かの方は、キャンサーの姫君であられるかと、ご推測いたします」
 ジュエは息を吐いた。
 そうだろうとは思った。
「やはり、そうか。まあ、……だよな」
 一人ごちて、考えたのは。
 それをカヤはなんと思っただろう、ということだった。

2007/05/30