金の姫 3

 朝食に、レオの君は姿を見せなかった。
 早朝より出立されたという二姫も不在で、カヤは一姫と三姫と三人で朝食となった。
 押しかけてきたキャンサーの侍女の話は聞いているだろうが、姉姫方は触れもせず、ただ、昨日と同じく三姫さまが楽しくお話され、一姫さまがときにお返事をされ、そしてときどき、カヤに話題を振ってはくださるも、今ひとつ気の利いた返事も出来ずなんとなく流れていく会話だけが、食事の友であった。
「今日はたくさん食べねばならぬ!」
 と、元気いっぱい朝食を進められる三姫さまに、そういえば、とカヤは思い立った。
「三姫さま。本日はご公務とお伺いしましたが、その、どのようなご活動をされるので?」
 カヤが訊ねると、三姫さまはひょいとわざとらしく肩をすくめた。
「なに、面白くない話よ」
「はあ」
「お隣さんがご機嫌伺いに来られるからの。お丁寧にお迎えして、ご丁寧にお引取り願うの!」
「は、お隣さん、とは?」
 言われた意味がわからず、質問を重ねる。
 機嫌伺い、というのはまあいいが、それを宮家の三姫がわざわざ公務と言って出迎えるとは……相手は?
「宮家の、傍家、ですか」
 そろりと訊ねると、三姫はにこりと笑った。
「もちろん我らがレオの宮家にも傍家はおる。けれど機嫌伺を寄越すような傍家はおらぬの! 銀の姫君はご実家におられるときに、本家に機嫌伺を遣っておったかの」
「いえ、そのようなことは」
 していない、と、思う。
 自分は子どもだったので、すべてを知っているわけではないが。
 では、誰だ、相手は。
「銀の姫は巨蟹宮に入られてまだ日が浅い。本家でずっと教育されていた姫でもない。だからお会いになったことはないのであろう。今日、三姫が対面するのは、隣地バーゴからの使節である」
 一姫が話を引き取った。
 告げられた内容に、カヤは軽く目を瞠る。
「バーゴ……隣地……」
 隣の領地であるのは、キャンサーも同じだ。
 では、キャンサーも定期的に両隣に使節を送っているのだろうか。
 いや、レオとは反対隣のジェミニは内紛状態だというから、行っていないかも。
 そしてレオは十二領地の中でももっとも力のある豊かなところ、あのキャンサーの老使いが機嫌伺をしていない、というのも……。
「おやおや。銀の姫が難しい顔になられたの!」
 三姫がぱっと言った。
「言うておろう、面倒な話と。それなりの距離を保ち、友好を保つことは互いに必要であるがの! 必要以上は面倒なだけなのよの!」
 そしてきゃらきゃらと、まるで侍女のように笑う。
「は……必要以上、ですか」
「バーゴは落ちぶれてもおらぬが、なにやら不安なことがあるらしいの! でなければこんなに我らに機嫌伺などする必要はないからの!」
「そのような行動に駆り立てている要因がなんなのかは、われらの知るところではない」
 きっぱりと、あるいは冷たいとも取れる調子で、一姫は言った。
「もし火事が起ころうものなら、対岸からも消してくれと、バーゴは言いたいのであろうか? 消せると思うか、其方? いかにレオといえども、他の領地をそこまで守ってやる義務はない」
「…………仰るとおりです」
 カヤはひとり、先に食事を終えようとする三姫を見た。
 三姫はカヤと目が合うと、にっこりと笑った。
 その笑顔はまるで子どものような純真な笑顔に見える。
 いや、そうとしか見えないのだが。
「本当に忙しいときには、老使いにまかせるがの!
 使節団を軽くあしらってばかりもおれんのでの!
 レオの宮家には直系の姫が三人もおるゆえ、体裁を整えるには誰かが出て行けばよいの!」
「……体裁、ですか」
「体裁は大事じゃぞ、姫」
 三姫がわざと難しそうに眉を寄せて言ったので、カヤは少し笑った。
「はい。心しておきます」
 返事をすれば三姫は胸をそらして大仰に頷いた。
「わかればよい!」
 そして優雅に立ち上がると、ふわりとスカートをつまんでお辞儀をする。
「では銀の姫、姉上、わらわはお先に失礼いたします」
 挨拶をするとくるりと背を向ける。
 自らの手で扉を開けると、外に控えていた侍女が扉を閉めた。
 そうして三姫は、カヤの前からいなくなった。
「今日の予定は聞いておられるか」
 なんとなく三姫を見送っていたカヤに、一姫が声をかけた。
 急いで正面の姫に視線を戻す。
「はい。今日も一姫さまにご教授できるできると」
「さよう。そのつもりじゃ。わたしには今日しかもう時間がないので、其方、覚悟せられよ」
 それは聞いていなくて、カヤは驚くが。
「……わかりました」
 深く頷いた。
 受けて立つ、という言葉はこの場合違うかもしれないが、心境はそんな感じだった。



 一姫と、昨日と同じ部屋でみっちり授業を受けていると、つい、忘れていたのだが。
 あの、キャンサーの金の宮姫は、ずっとカヤと同席していた。
 もちろん侍女ということなので壁際に控えているのだが、侍女というわりには仕事があるわけでもなく、下がってよいと言ってもカヤの監視が仕事だとでもいうのか、カヤが見える場所から引っ込みはしなかった。
 が、気にしていたのははじめだけで、監視している侍女がいまさらひとりいたところで、たいしたことではなかった。
 巨蟹宮にいたときは、周囲の侍女はみな似たようなものだった。
 違うといえば、いま背後にいる彼女は、本当は姫だ、ということくらいか。
 午前中の途中で一度、侍女が休憩のお茶を運んできたときに、一姫はふと、壁際の侍女に目をやった。
「そういえば、姫の付き者が来たそうだな。今朝であったか」
「は……」
 話を振られて、さてなんと応えようかと思ったカヤは、けれど当の彼女の行動に、返事が遅れた。
 いつの間にか、壁際にいたはずの金の姫はカヤのすぐ隣に立っていた。
 そして優雅にお辞儀をしてみせる。
 カヤよりよっぽど姫君らしい仕草だった。
「はい。キャンサーより参りました。アスカと申します。以後お見知りおきを」
 ……ちゃっかり挨拶などしている。
 思うに、彼女はずっとこの機会を待っていたのかもしれない。
 カヤは内心舌を巻いた。
「ほう。姫がいつも傍に置いている者か」
「え、ええ……そうです」
 さて、一姫にどれだけ嘘が通じるだろうか。
 嘘だとわかったときに不敬だと問われはしないだろうか。
 む、とカヤは頭を抱えたくなった。
 本当のことを誰かにこっそり伝えておいたほうがいいだろうか。
 誰か……誰に?
 それに彼女がいないところでなければならないが、今のところ金の姫はずっと自分に引っ付いてきている。
「それはそれは。お付の者がいて銀の姫も安心であろう」
「は……姫様方に優秀な侍女をお借りしているのに、申し訳ありません」
 意味合いが違えども、心境は間違っていない。
 カヤは軽く頭を下げた。
 昨日、深々と頭を下げたら、一姫に叱られたのだ。
 いや、正確には注意を受けたのだが。
 星主たるものそんなにへつらってはならぬ、と。
 たとえ自信がなくとも、堂々としていることで周囲の見る目は変わるから、と。
「ほほほ。よいよい。宮の老使いが、大事な姫のことを心配しなさったのであろう」
 一姫が上品に笑う。
 気分を害したわけではなさそうで、カヤはほっと胸をなでおろした。
 ちらりと金の姫を盗み見る。
 今、なんと言ったか?
 侍女に名が必要と教えたから、考えたのだろうか。
 ええっと。
「……アスカ」
 彼女が名乗った名で呼んでみる。
 かくして金の姫は、驚いてカヤを振り返った。
 彼女は立っているので、主君であるべきカヤを見下ろしているようになる。
 もちろんそんなこと、金のお姫様は気付かない。
「これ、そのように不躾に一姫さまを見つめるでない。キャンサーの侍女ははしたないと思われるではないか」
 なぜ自分がフォローしなければならないのか、と内心思いつつも、キャンサーの評価を落とすことは良しとしないので、忠言ぶってみる。
 彼女は慌てたように一歩下がって頭をさげる演技をした。
「失礼しました。キャンサーには姉姫のような美しい姫がおりませんので」
「おやこれは。ゆうてくれる」
 ほほほ、と一姫が笑った。
 再びカヤは胸をなでおろす。
 まったく、いつまでこんな茶番をさせるつもりか、と思うが。
(まあ……ここにいる間中だろうな)
 自分の胸の中で答えはあっさり出た。
 いろいろ覚悟して乗り込んできたつもりだが、思いのほかレオの宮家の方々に良くして貰って、すっかり居心地がよいと勘違いしていたので、気を引き締めなおすにはちょうどよいか、と思うことにする。
(しかし。一番やっかいなのが、身内とは)
 溜息が出そうになるのを飲み込んで、紅茶を静かに口に運ぶ。
 一姫に嘘をついているのが、心苦しかった。
 こっそりと真実を告げても、姉姫ならば上手く対処してくださいそうな気がした。
 けれど、それは身内の恥であるし、今カヤが感じていることを、姉姫さまに同じように味わわせるはもっと心苦しかった。
 ならば、どうすればよいのか。
 そんなことは、わかっていた。
 誰にも告げず、このまま何もなくキャンサーに帰ればよいのだ。
 たかが侍女ひとりのこと、姉姫さまも、レオの君も、お忘れくださるだろう、と。
 そう思って納得するしか、とりあえず今はどうしようもなかった。

2007/05/12