「積星宮で銀の髪の者を見たら、おそらく誰もが、其れがキャンサーの者だとわかるであろう。なぜだかわかるか?」
通された部屋のソファに座るや、一姫がたずねてきた。
「それは……キャンサーの星主は、銀の髪でなければならないという掟があるからです」
「そう。では其方、レオの星主になるための条件を知っておるか」
「……」
カヤは口をつぐんだ。
金の髪に蒼の瞳の星主を思い出す。
が、そんな特徴は、キャンサーの中の自分と違って、特に珍しいものでもないような気がした。
実際、目の前にレオの君の姉が三人いるが、金髪なのは三姫だけだ。
「無論、金の宮であるから、金髪は条件の一つだな。だが、ジュエが生まれるまで、わらわは星主になるための教育を受けておった」
濃い茶色の髪を高いところで結い上げた、一姫が言った。
彼女は金髪ではない。
が、もし彼女がレオの星主になっていたとしても、カヤはすんなり受け入れたのではないだろうか。
「レオの星主に必要なことはな、強さよ」
「強さ……」
目に見えない条件。
いや、それがまるで見ればわかるほどの強さが、条件。
「無論ほかにもいろいろとあるがな。条件にそぐわない星主が立つと、領地に歪が現れる。もちろん人の子ゆえ、そんな理想な宮家の者がいないこともあろう。だから、宮家は傍家の端々まで大切にし、嫡子に関わらず最も星主に相応しい者を選び出す。それは宮家と宮の責務。銀の姫は傍家の姫と聞いた。それはおわかりかな?」
責務。
そうかもしれない。
見た目は誤魔化せないから。
だから、カヤは選ばれ、けれど、傍家であることに変わりはなかった。
それだけだ。
「さて、それで。キャンサーは特に特異。レオもある意味特異よ。見てわかることが条件のひとつであるからな。姫は積星宮にて星集会に参加されたな?」
一姫が、カヤの返事などいちいち確認せずに話を続ける。
「星主が不在のジェミニ以外は、全員おったはずだが、其方、すべてわかったか?」
「え……いえ」
星主が集うという場に顔を出さなかったカヤは、結局レオとアリエス、そしてアクエリアスの姫と、ちらと見ただけのスコーピオくらいしかわからない。
「なぜわからぬ?」
なぜ、と問われても、それは。
「それは、そなたが知らぬからだ」
そのとおり。
「では、知りませんでした、が、正統な理由だと、そう思うかね?」
カヤは一姫の言わんとすることを理解する。
「人とは知っていることしか知らぬのだ。だから、知らねばならぬのだ」
そしてカヤは、知らないことがたくさんあった。
「はい……」
頷いたカヤに、一姫はそれは艶やかに微笑んだ。
巨蟹宮の家庭教師よりはずっと厳しい授業だったが、カヤは全身を耳にして一姫の話を聞いていた。
今まで教わったことはたくさんあったが、カヤが知っていることも知らないことも、何一つ確認せずに一姫は話を進める。
逆に、カヤが理解したかどうかも、あまり、確認しない。
その自信たっぷりの姿が、ときどき、レオの君に似ている、と思い、
否、似ているのはきっと、レオの君のほうなんだろう、と思った。
一姫が、主に話してくれたのは、十二の星主や領地の、それぞれの特徴や、その相互関係だった。
何故、それを自分に教えるのか、レオの言葉を借りれば、何の偏見もなく一からすべて、ということだが。
「では、キャンサーの姫。其方のキャンサーが一番懇意にしている領地はどこか?」
問われて。
カヤは答えられなかった。
知らなかったからではない。
レオの一姫に、答えたくなかったからではない。
そんなものは、なかったからだ。
言葉に詰まってしまったカヤに、けれど一姫はかまわず続けた。
「我々は世界を均等に十二に分けておる。そこには相互の安定がある。だが、領地の繁栄、貧富、それらには差がある。なぜか。それは致し方のないことなのか。これは未来永劫続くことなのか」
淡々と、続ける。
ただの民ならば、己が住んでいる場所があたりまえのことで、他を羨んだり、蔑んだりすることもないだろう。
一族が土地を、習慣を、そっくりそのまま引き継げば、変わらぬ姿であるはず。
民ならば、そう思っているだろう。
それでも、いいかもしれない。
けれど。
「では、星主の一族は、なんのために存在する?」
未来永劫ではない。
そんなものは、存在しない。
キャンサーが、かわらずキャンサーであるためには、引き継がれてきた銀の髪と紅の瞳の星主が、舞を奉納しなければならないだろう。
それすらも、当たり前。
「はるか……はるか昔。世界は十二にわかれていなかったという」
一姫が告げた言葉に、カヤは驚いて目を見開いた。
どんな歴史書にも、そんなことは書かれていない。
少なくともカヤは、そんなことは習っていない。
「銀の姫は、自身の領土を隈なくまわって見られたか?」
レオの君と話しているときに似ている。
一姫の話は、突然まったく関係のないことに触れる。
カヤは、その意図を逃すまいと、ただ、首を横に振って答える。
「いずれ回って見られると良い。少しでも。さすれば、わかるであろう。十二にわけられた世界のうちのひとつだというのに、我らの領地はとても広い」
思い出す。
そういえば、レオの君は境界壁近くの星見の丘にも、ときどき訪れると言っていた。
「世界を十二にわけたのは、広すぎるからだ、という」
「広すぎるから……?」
「広すぎて祈りが隅々までゆき渡らぬからだ、という。そして十二にわけたのなら、それでも広いと思うこの領土でも、祈りをゆき渡らせることはできる、ということになる」
誰の話だろう。
何の話だろう。
「世界がまだ大きな大きなひとつの世界であった頃、ただひとりの星主が、世界の中心であった積星宮で世界を治めていたころ、この世界には澱みなく隔たりなく等しく、豊かであったという。それが、領土をわけ、それぞれの星主が治めるようになってから、差が生まれた、とされておる」
「……」
聞いたこともなかった話に、カヤは呆然と耳を奪われる。
「それでは……」
星主が、この広い世界にたった一人だったなんて、聞いたこともない。
なのに。
今の話では。
「星主がたった一人であった頃のほうが、世界は豊かだったということですか?」
レオの宮家、本家の長女、レオの君が生まれてこなければ、おそらくは星主になっていたであろう、一姫は、それは美しく微笑んだ。
「驚くであろう? 信じれぬであろう? けれどわたしはな、そうは思わぬ」
「は?」
微笑湛えている表情は、美しく、そして……強い。
「我らには、祈りの力がある。どこかの宮家のように、倒れても新たに立ち上がる宮家もある。脈々と続く宮家の、本家か傍家かなど、たいした違いではない。我らには、祈りの力があるのだ。それが十二人おって、十二人もおって、たったひとりの我らが始祖に、敵わぬはずがなかろう?」
どうして。
そんなに美しいのか。
無論、切れ長の眸も、長いまつげも、すらと高い鼻も、微笑む唇も、一姫の美しい要因ではあるが。
それはたとえば、奇才の画家にも彫刻家にも真似の出来ない、美しさがある。
ここで息をして、微笑んでいる、この人にしかないものがある。
……そんな、強さがある。
それがレオだというのなら、では、自分にはなにがあると言うのだろう。
もっとも相応しいと選び出された自分には、星主であるという自分には。
宮家の血が継がせた容姿のほかに、何を持っているというのだろう。
「だから、其方にも期待しておるのだよ、銀の姫」
にやり、と一姫が笑った。
レオの君を思い出させる笑みだった。
どきり、とカヤは我に返る。
「は……」
曖昧に答える。
新たな星主に、期待したいのは、わかる。
けれどどうして、なにが、「だから」なのか。
「混沌の星が降る、と予言された」
どきり、とする。
それは、自分が星主に選ばれる直前だったという。
選ばれてから星主に就任するまで数月あったが、その間いろいろと噂は飛び交った。
キャンサーの老使いたちは、どちらかというと噂など気にもしない連中だったが、それでも少し慎重になったと後で聞いた。
けれど、実際星主になってからは、混沌の星のことを、カヤに向かって言う者は、領地の中にも外にもいなかった。
理由は簡単だった。
もっと、混沌とした話が、ほかにあったからだ。
「われらが弟、ジュエはな」
さらりとレオの君の呼名を口に乗せられ、カヤはぎょっとする。
三人の姉姫は、弟である星主が、この隣の領地の星主に、名を告げたことを知っているようだ。
「其方に期待しておるのだよ。キャンサーの姫、いや、星主殿」
そういえば、レオの君、つまりジュエも、カヤに言っていた。
もし姉姫に名を訊かれたら。
答えても良い、と。
あれは、どういう意味なのだろうか。
わからなくて。
きっと、カヤがわからないと思っていることの根源は、辿ればきっと全部、あの男なのだ。
なにを思ってカヤをここへ呼んだのか。
己の姉姫と話をさせたのか。
カヤになにを、させたいと思っているのか。
カヤのことを、なんと思っているのか。
すべてあの男の手で動かされているようでとても癪に障るのだが、それでもその意図を知りたいと、今のカヤは思い始めていた。
「さあさ! 銀の姫!」
突然高い声が突き抜けて、カヤは飛び上がりそうになった。
慣れているのか、一姫と、そして部屋の隅で書物など開いていた二姫は、別段驚いた様子もなく、末の三姫を振り返った。
三姫はというと、まるで侍女がするように、お茶の支度を整えて部屋に入ってきたところだった。
カヤは三姫が隣のソファで刺繍をしていたところは覚えているのだが、いつ出て行ったのか、まるで気づいていなかった。
「お話の区切りも良いことですし、お茶にしませんかの!」
そして、さあさあと、カヤと一姫の間にある茶卓に茶器を並べ始める。
すぐに二姫もやってきて、カヤの隣にするりと腰を下ろす。
「まあ、良い香りですこと」
一姫は、先ほどまでの強烈なまでの美しさと、おそらくなんの変化もないのに、けれど
ひどく印象の異なる静かで穏やかな姉の眼差しで妹姫の取り出した茶瓶に目を細める。
「お勉強に疲れたときは、これに限りますの! 銀の姫のお口に合うと良いですの!」
硝子の瓶の中で、茶葉がくるくると泳いでいる。
さわやかな香りが鼻腔をくすぐる。
「そうじゃの。銀の姫、これはわたしのお気に入りでもあるのじゃ。其方が気に入ってくれるとわたしも嬉しい」
二姫がにこりと笑うわけでもなく、茶瓶を眺めたまま言った。
「……はい。良い、香りですね」
茶は、詳しくはないのだが、嫌いではない。
ここに来ていろいろと違う種類の茶が出された。
カヤはさっぱり覚えられないのだが、どれも香りや味が微妙に異なり、彼女たちはその効能に合わせて飲み分けているらしかった。
それぞれの前に茶が配られる。
その香りを楽しみつつ、カヤはそっと三人の姉姫を見回した。
まるでタイプの違う三人で、レオの君と似ているところもあれば全然違うところもある。
それでも、レオの君と会ったときとは違って、なぜか素直に好感が持てるのはなぜだろう、と思った。
誰にも気づかれないようにこっそりと笑んだ。
いつか、レオの君に……ジュエに教えてやろう、とこっそり、思った。