招待状 5

「おまえ、獅子宮に着いたら、盛大に出迎えられたいか?」
 レオが突然言ったので、眠りの淵をうろうろしていたカヤはびくりと反応した。
「あ? すまんな、眠っていたか?」
 言って、レオの君はまるで自分が寝起きのように、うんっと伸びをした。
 それからおもむろに、カヤの隣に座ってくる。
「疲れただろう。もうすぐ着くぞ」
「あ、ああ……そうか」
 レオの君の手が、カヤの頭を撫でた。
 優しいその仕草に、混乱する。
 思い出そうとする。
 日が沈んでからレオは窓を閉め、少し眠ると言って本当にすぐに寝息を立て始めた。
 馬車の揺れはキャンサーの領地内とは段違いに少なく、話し相手も警戒相手もいなくなってしまい、カヤもうとうとしていた。
 ふと意識が眠りの泉から浮かび上がることもあったが、レオを見ると眠っているようだったので、また、意識は沈んでいき……。
「わたしは、眠っていたか」
「多分な。俺も寝ていたからよく知らんが」
「そうか。それで……なんだったか?」
 確かレオが話しかけてきて、目が覚めたのではなかったか?
「ああ、俺も忘れるところだった。いかんな」
 やはりレオも寝起きらしい。
 己に苦笑して、それからキャンサーの姫を見た。
「外はもう夜だ。宮仕えの侍女たちも下がる頃だ。だから盛大にもてなすことは出来ん」
「そんなこと」
 カヤは首を振った。
 そんなこと、期待しているわけではない。
 レオの君がかすかに微笑む。
 隣の男を眺めながら、自分などよりは絶対こやつのほうが美しい、とカヤはぼんやり考える。
「だが、この五日間、おまえの専属になる予定の侍女は、迎えに来るように言ってある」
「……それは、彼女たちには申し訳ないことだな」
「なに、おまえに興味津々だったから、引っ込んでいろと言ったほうがあいつらは怒るさ」
 その侍女たちを思い出しているのか、うんざり、という顔をする。
「貴殿は」
 そんなレオを眺めて、カヤは思った。
「侍女たちとも仲が良いな」
「……とり方次第では棘のある言葉だな」
「そんなつもりはない。わたしは其方にも、侍女たちにも妬く必要がないからな」
 に、と笑って言い返せば、レオが振り返る。
「妬いてはくれぬのか」
「真面目な顔で言うな、馬鹿者。なぜわたしが」
「そうか……残念だな」
 えらく真剣に言われて、カヤは眉をひそめた。
 この男は、何がいいたいのだろうか?


 やがて宮の中に馬車が入っていく。
 黄金の獅子宮をぜひとも正面から見てみたかったが、この時間ではよく見えぬ、とレオの君に拒否された。
「そう落ち込むな。見たかったのか?」
「別に。さぞ美しいのだろうと思っただけだ」
「もちろん美しいぞ。よしわかった、明日見せてやる」
「……ありがたいことだな」
 レオの君が機嫌よく答えるのに、いい加減に返事をした。
 やはり、長旅が疲れたのかもしれない。
 馬車が止まり、外から親衛隊の声がかかると、レオはまた、自ら戸を開けた。
「おかえりなさいませ」
 一斉に声が出迎える。
 盛大ではないといわれたが、それなりに出迎えの人はいるようだ。
 カヤはひとり、膝の上で手を握り締めた。
 けれどレオはカヤを呼ばない。
 かわりに別の名をいくつか呼んだ。
「おまえたち、姫は大変お疲れのご様子だ。
 おもてなしはほどほどにしろよ」
 すると女の声が答える。
 ということは、自分の世話をしてくれるという侍女たちだろうか。
「姫、出ておいでなさい」
 そう思ったところでレオの君が自分を呼んだ。
 ここまできたら……覚悟するしかない。
 自分は、隣国の姫、なのだから。
 カヤが現れるとレオの君の後ろに控えた三人の侍女が揃ってお辞儀をした。
 それからレオが手を伸べてくるので、一呼吸してからその手を取る。
 いや、正確にはひょいと身体を持ち上げられるので、バランスを保つために、不本意にもレオの肩を掴むことになるのだが。
「いらせられませ」
 地面に、獅子宮の大地に初めて足を下ろしたキャンサーの姫に、三人の侍女が出迎えの言葉を述べる。
「ようこそ、姫さま。お待ちしておりました。御用がございましたら、どうぞわたくしどもにお命じくださいませ」
「あ、ありがとう。世話になります」
 姫らしく、答える。
 こんなところで気後れしてはならない。
「で、早速なのですが。お夕食はいかがなさいますか、姫さま」
 言われて……考えた。
 午は宴の予定だったからその前に軽く食事は済ませていた。
 女は宴の最中に食事をしないからだ。
 その後、お茶といって休憩したときに焼き菓子を頂いたが、それ以外口にしていない。
 正直、少々、なにか食べたい気分だったが。
「ああ、食事か。忘れていたな。俺の夜食はあるのか?」
 去っていく馬車に何か命令していたレオの君が、会話に参加してきた。
「あるとは思いますが、主さまの侍女や女官は皆下がっておりますよ」
「だな。そのように命じた」
 こりこり、とこめかみを掻く。
 そしてぽんと手を打った。
「わかった。姫と一緒に食事としよう。さすれば、おまえたちが一緒に給仕してくれよう?」
「まあ! 確信犯ですこと!」
 侍女たちは笑った。
「となれば参りましょう。ささ、姫さまも、どうぞこちらへ」
 侍女の一人が歩き出す。
 それにレオの君が続き、目線でついて来いと言われた。
 カヤが歩き出せば、あと二人の侍女が後ろとついてくる。
 そこは、宮の中心より奥の塔だと思われた。
 造りは違うが、巨蟹宮の自分の私室が与えられている場所に、似ていた。
 すぐに火が灯された食堂は、こぢんまりとしていて、長テーブルは上座と下座、そして左右には二席設けられているだけの、小さなものだった。
 厨房の方へと入っていく侍女を気にもせず、レオが迷わず上座に座る。
 ここはやはり下座だろうか、と足を向ければ。
「こちらへ来い」
 手招きされた。
「其方の席はここだと、決まっている」
「決まって、て」
「ここは俺たち本家の人間が使うプライベートな場所なんでな。俺の家族はあと三人いるわけだが、その三人が決めたのだ」
 レオの君の家族構成などわからなくて、当惑する。
 下座ではなく、レオの上座のすぐ脇の席を示される。
 あとご家族が三人いるなら……自分は三人に囲まれることに、なるのだろうか?
「そう怯えた顔をするな。誰も其方をとって喰いはせん。……多分」
 さり気なく不安な一言を付け加えるレオに、キャンサーの姫はなんと言っていいかわからなかった。
 立ち尽くしているうちに、侍女たちが現れた。
「まあ姫さま。どうぞお座りになってくださいませ」
「ええ、そうです。銀の姫さまのお席はこちらです」
 運ばれてきたスープが先に席に着く。
 それから侍女が椅子を引いてくれる。
 仕方ないので、カヤはそこに座った。
「こちらのパンは穀物が入っています。固いのがお嫌いでなければそのままどうぞ。こちらは香草入りで、スープに浸しても相性がようございます」
 そしてバターやらたまごの料理やらがいくつか並ぶ。
 そのたびに侍女は説明してくれる。
 そんな横で、レオの君は黙々と食事を進めていた。
「とりあえず、好きなものだけ食べればいい。食事の機会などまだあるからな。齧ってみて好みでなければほっておけ」
「いや……それは」
「大丈夫だ。おまえが心配することはない。捨てるのではない。俺が食べてやる」
 言いながら、レオはひょいと手を伸ばし、籠から次のパンを取り上げる。
 驚いたが、目の前でぱくぱくと食を進めるレオと、鼻腔を刺激する良い香りが、カヤの手を動かした。
 が、空腹といってもさして動いたわけでもなく、ましてやあとは休むだけ、カヤは最初に勧められた香草パンをスープに浸して頂いた。
 とても美味しいと思ったが、それでやめておいた。
 サラダに箸を付けつつ、いくつ目かのパンを食べ終えたレオを、意外な気持ちで眺める。
「……なんだ?」
「いや、別に。貴殿は午、食事を取れなかったのか?」
「ああ、大丈夫だ。巨蟹宮に入る前に食べている」
「そうか」
「これはな。これから仕事だから、食べねばやれんのだ」
「……仕事?」
 なんのことだろうと思って見返すと、食事を切り上げるつもりなのかナプキンで指先を拭っている。
「ああ。一日空けていただろう。うんざりするほど溜まっているぞ」
「これから? 片付けるのか?」
 驚いた。彼のいう仕事がどんなものでどれくらいあるのかなどわからなかったが、
 巨蟹宮まで往復したあと、まだ机に向かって仕事をするつもりなのか、と。
「今日中に片付けるのは無理だ。が、明日には明日の仕事があるからな。少しでも手をつけておかないと」
 レオが立ち上がる。
「おまえは休め。この三人が世話を焼いてくれると思うが、鬱陶しくなったらそう言えよ」
「まあ! 主さま、それはあんまりですわ」
「そうですわよ。ひどいですわ」
「あ、でも姫さま。本当にそうお思いでしたら、もちろん言ってくださいましね?」
「ほらな。一言いったら三倍返ってくる」
 苦笑いのレオが背を向ける。
「それは……其方がそういう言い方をするからでは?」
 カヤは追いかけるように立ち上がったが、追いかける、ところではない、と気づいた。
「そうですわよね、姫さま」
 るんるんと楽しそうな侍女は、自分たちの星主を見送りもせず、客人の姫を囲んだり、皿を下げたりし始める。
「やれやれ。まあ、女同士、上手くやってくれればそれでいい」
 ひらりと手を振り去って行こうとするレオの君に、カヤは。
「――レオ!」
 思わず、呼び止めた。
 それは……どんな声色だったのだろう。
 自分は、不安だったのだろうか。
 レオの者に囲まれて、その中にレオの君がいることが、支えだったのだろうか。
 ……認めるつもりは、ないのだが。
 レオの君は立ち止まり、振り返った。
 侍女たちは皿や籠を慌しく抱えて、厨房へと引っ込んでいく。
 レオの君がすたすたと戻ってきて、カヤの顔を覗きこんだ。
 慌てて、睨みつける。
 弱みを見せるわけには、いかない。
「大丈夫だ」
 レオの指がカヤの頬に触れた。
 びくりと身体が反応する。
「侍女はちゃんと選んだ。おまえに害を成すことはない。逆におまえが少々当たってもびくともしない連中だ。わからないことは聞けばよい。あざ笑ったりはせぬ。おせっかいで鬱陶しくなったら、もう休むと言ってやれ」
「あ……ありが、とう」
 耳打ちされて、頷く。
 待遇の良さに本気で感謝する。
「其方……あの、今日は」
「うん?」
 自分は、なんと言いたいのだろう。
 よくしてくれてありがとう?
 まだ仕事をするつもりだなんて、ご苦労様?
 それとも、頑張って、のほうがよい?
 否。
 自分が言いたいのはそうではなく。
 何故、自分をここに連れてきたのか。
 けれど思いは言葉にはならず、
 言葉にならないものは、相手には伝わらず、
 次の句を待っているレオの前で、キャンサーの姫は唇を引き結ぶしかできなかった。
 レオの君が、すっと、腰を落とした。
 キャンサーの姫の手を取って、甲に軽く口付ける。
「失礼。挨拶せずに退席するところだった。わたしはこれにて失礼する。ゆっくり休まれよ、姫」
 形式ばった口調で言われて、思わず返答が口に上る。
「……気遣い痛み入る。レオの君も、ご自愛されよ」
 訓練された成果だ、と思う。
 言われたら、返答する。
 だから……レオはわざとこんなふうに喋った?
 カヤの手を離して立ち上がったレオは、すいっと顔を寄せた。
「おやすみ」
 耳元に囁かれ、カヤは顔を上げた。
「あ……おやすみ、な、さい」
 しどろもどろに答えると、レオの君はふっと笑って背を向けた。
 そして真っ直ぐに部屋を後にした。
 カヤはひとり、残された。

2006/11/06