招待状 3

 城から出ると目の前に立派な馬車が泊まっていた。
 一目で、キャンサーのものではない、とわかるほど、それは立派だったが、けれどキャンサーの姫が思っていたほど、レオの君が乗ってきた車は豪奢ではなかった。
 なので。
 これは自分が乗るように用意したものだろうか、と考える。
 レオの星主にはもっと立派な車が……。
 ぐいぐいと自分を引っ張ってきたレオが、その馬車の前で手を離した。
 御者が頭を下げるのを無視して、決して派手ではないその車に、ひらりと飛び乗った。
 キャンサーはぽかんと見上げる。
 その前で、レオは振り返ると、キャンサーに向かって手を伸べた。
「そら、来い」
「……は?」
 言われた意味がわからず、いや、言っていることはわかるが、レオの行動の意趣が読めず、キャンサーはただただ困惑する。
 立ち尽くすキャンサーの前に侍女たちが踏み台を出す。
 ……ということは、やはり自分はこの車に乗れば、いいらしい。
 では、レオは?
「ここまできて何を迷っている?」
 迷ってなど、いない。
 自分には選択肢など多くはないのだということ、キャンサーの姫は理解していた。
 に、しても。
「いや……そなた、は?」
 恐る恐る一歩踏み出しながら、レオの君を見上げる。
「俺が、なんだ? 同じ車に乗っては駄目なのか?」
 さらりと答えられて、驚いた。
 自分が車に乗せられるときは、いつも三人の侍女と一緒に乗せられていた。
 そういうものだと思っていたのに。
「それとも世話をしてくれる侍女がおらぬと不安か。一人、乗せようか?」
 そういう理由ではない。
 そうではなくて。
 キャンサーは、くい、と顎を上げた。
 レオがそういうつもりなら、そうしてやろうではないか。
 軽く衣装をつまんで踏み台に足を伸ばせば、後ろの裾を侍女が持ち上げてくれるのがわかる。
 慎ましやかに、けれど、少々乱暴に、キャンサーはひとりで車に乗った。
 レオがにやりと笑う。
「それで。侍女が必要か、キャンサーの姫?」
「……。其方が要らぬというのなら、わたしは要らぬ」
「結構」
 満足げに頷いたレオが、侍女たちに軽く合図を送る。
 すぐに娘たちは走り出し、車の戸は、レオ自身が閉めた。
「さて、姫君。車はすぐに動き出す。どうぞお座りなさい」
 そう言って、軽く手を沿え奥の座に導く。
 いちいち完璧なエスコートに、キャンサーはつん、としたまま従った。
 馬車の中は……広かった。
 キャンサーのものより、一回りはゆうに大きかった。
 けれど、なにか飾りがあるわけでもなく、ただ、隅に獅子の紋様が入っているくらいだ。
 そしてソファ式の座は向かい合わせで四人用、なのだろうが、侍女なら六人は座れそうだった。
 当然のように上座に座らされ、まあ自分は一応客人であるから、紳士的なレオがそうすることはまだ、わかる。
 けれど、そのあとどさり、と座ったレオが、キャンサーの隣でも向かいでもなく、四人席の最も下座だったので、軽く驚いた。
 がたん、と少し揺れた。
 窓にかかるカーテンの房が、わずかに揺れた程度。
 窓は……両側にあったが、カーテンで遮られていたため外は見えなかったが、部屋の中は充分明るかった。
 馬車が走る。
 揺れる感じで、城元の広場を抜けて、ああ、東の門をくぐったかな、と思った。
 そこから先のことは、あまりよく知らない。
 ここは、キャンサーの……傍家の娘カヤの育った場所では、ないから。
「緊張しているのか」
 まったく緊張した様子のない声がして、カヤは顔を上げた。
「くつろげば良いぞ。誰もおまえの見張りはしてないからな」
 ちくりと何かが胸を刺すが、カヤは顔になど出さずに、むしろ呆れたようにたずねた。
「貴殿はいつも、侍女も従者も乗せないのか?」
「同席させることもあるが、こんなところで使いに頼ることなどなかろう? それに用があったらどうせ車を止めるんだ。同じことだろ」
 もっともではあるが、おかしなやつ、と思った。
 これが、今最も権力のある星主?
 レオは……自身が言うとおり、足を組んで斜めに座り、随分と砕けた様子だ。
 だれも見張ってはいない、というのは、レオにとっても同じことらしい。
 なるほど、と納得し、カヤはぴんと張っていた背筋を緩めて、窓の縁に頬杖をついた。
 レオがそれを見て、くく、と笑った。
「おまえはいつも怒っているような顔をする」
「べつに怒ってなどいない」
「なら良いが。獅子宮までの道のりは遠い。外を眺めるのも良いし、眠っても構わぬ」
 カーテンを開けようか、という仕草に、カヤは首を振った。
「必要なら俺が話し相手になってやる」
 それが……レオの君の、カヤに対する気遣いだと気づいて、カヤは居心地が悪くなった。
 今日中に獅子宮へ着けるというが、まだ午を少し過ぎたばかりだ。
 それだけの長旅を強いられることになる相手に、レオはそう言っている。
「……巨蟹宮から獅子宮まで半日。貴殿はここまで半日かけて来たのだろう」
「ああ。今朝の朝議のあとすぐに出た」
 ぽつ、と喋ればレオは言うとおり話し相手になるつもりらしい。
 その返事を聞いて、カヤは別の溜息をついた。
「朝議に出てからここまで来たのか。ご苦労なことだな」
「俺はかまわんが、大変なのはおそらく供の者たちだな。ま、無茶は慣れていようが」
「……大変な主君を持ったものだ」
 レオが肩をすくめて見せるので、カヤは苦笑して返した。
「けれど貴重な時間を割いて、なぜ其方が自ら来た? 使者を出せばよかろう? それともキャンサーの何が見たかった?」
 カヤはそれが不思議だった。
 此度の誘いに承諾の手紙を返した翌日、早馬が告げてきた内容に。
 レオの君御自らが、その翌日に迎えに参上する、と、言ってきたときには。
 なんのために。
 カヤはそれが不思議だった。
 けれど、レオはああなんだ、そんなこと、と軽くあしらった。
 いとも簡単に。
「俺がおまえを迎えに行きたかっただけだ」
 さらりと紡がれた言葉に、カヤは目を瞬かせる。
 ……なんだって?
「待っているより自分で行くほうが俺の主義でな」
 わからない。
 この男が、何を考えているのか。
 自分のことを、なんだと思っているのか。
 レオの君にとって、たいして価値がある女ではないと思うのだが。
「……まあ、よい」
 けれどカヤは軽く頭を振った。
 今の自分で考えてわからないことなんてたくさんある。
 ただ今は、流れに飲み込まれないように、けれどただ、流されていくしかないのだ。
「其方が無駄なことをするとは思えぬから、それは、よい」
「ほう、なんだ、随分と物分りがよいな」
「どうとでも言え。だが、質問には答えてもらいたい」
 それでも、流されるしかないとはいえ、もがくことは出来るのだ。
 いや、しなければならないのだ。
「なんなりと、姫君」
 でなければ、自分は沈んでしまう。
 飲み込まれてしまう。
「なぜ、わたしをキャンサーの者から、引き剥がした?」
 まるで攫うように。
 まるでその力を見せ付けるように。
 まるで、キャンサーの無力をあざ笑うように。
 けれどこの男が、そんなことのために、わざわざ足を運ぶだろうか?
「嫌だったのか? 俺は事前に確認したつもりだが?」
「嫌だったかという話ではない。理由が知りたければ教えてくれると言ったではないか」
「ああ、そうだったな」
 レオはふむ、と頷いた。
「あの花で、おまえは少しは和んだか」
 で、突拍子もなく、話題を変えられた。
 カヤは怒るよりもただ、呆れた。
 話を逸らされたのかと思ったが、レオは頭のいい男だ。
 逸らすならもっと上手く逸らすだろう。
 ……では?
「……まあ、な」
 曖昧に頷く。
 けれどレオはそれだけでは納得しないらしく、カヤが言葉を続けるのを待っている。
「花に罪はないと割り切ったからな。どれも立派なものだったし。だが、宮の者はそうは思わなかったらしいが」
「ふん? なんと言っていた?」
「国力を見せ付けているとか、花では腹の足しにならぬとか」
 レオの君といっても、やはり若い女の気を引きたいのか、とか。
 これはさすがに本人にいうのは憚られて飲み込む。
 が。
「いや……しまったな。どれも身内の恥だ。今のは忘れてくれ」
「なるほど。まあ、そうだな」
 レオは別段気にした様子はなく、むしろ満足そうに頷いた。
「だが俺は、もちろんそのつもりで贈ったのだがな」
「……その、つもり?」
 言われたことがわからず、カヤは視線でたずね返す。
 馬車はごとごとと、次第に揺れるようになってきた。
「金がかかっていて、無駄に価値はあって、だが貴様以外の誰のためにもならないものを、選んだつもりなんだが?」
 まさにそのとおりで、けれどやはり理由がよく、わからない。
「……な、ぜ?」
「なぜと言われてもな。俺はおまえに贈り物をしたかったんだ。金品のほうが良かったか? 欲しいものがあるなら言ってみろ。宝石の類なら大概用意してやれる」
「いや、要らぬ。そんなことを言っているのではない」
 慌ててはっきり否定する。
 この男は本当にとんでもなく高価なものを持ってきそうで、庶民育ちのカヤはびくついた。
 けれどカヤの内心には気づいた様子はなく、レオは続ける。
「花は……咲いて終われば捨てるしかない。価値も何もそれで終わりだ。残らない。が、咲いている間は世話をせねばならない。宮の者の言うとおり、腹の足しにもならん」
 真面目に続けるレオに、カヤは目をひきつけられる。
 この男は、何を言おうとしているのか。
「何にすべきか考えたさ。そうしたら、記憶の中の貴様はいつも怒っているではないか」
「……え?」
「たくさんの花でも贈れば、ひとりでこっそりとでも笑ってくれるかと思ったんだ」
 思わぬことを言われて呆然とするカヤの前で、レオが席を移ってきた。
 正面に座ってカヤの顔を覗きこむ。
 はっと我に返ったときには、美しい顔が目の前にあった。
「な……」
「どうせ貴様は、宮でも笑ったりしないんだろうが?」
 手が伸びてきて、カヤの頬に触れた。
「……っ!」
 驚いて後退る。
 どん、と背中が座の背にぶつかった。
「それが……なんだというのだ?」
 わからない。
 レオの言っていることはわからない。
 自分が聞こうとしている返事が、わからない。
 レオが、ふっ、と笑った。
 時折見せる穏やかな笑顔は、間違いなく美しくて、性格を知ろうと、反目しようと、それは変わることのない事実だった。
 中途半端に伸ばされたままだったレオの手が、再び近づいてきて、カヤの銀の髪を一房掬い上げる。
 この髪が、宮家の正統なる後継者であることの条件の一つ。
 銀の城の主は銀の髪の星主でなければならない。
 目の前の金の星主はまるで……まるで愛おしむように、カヤの銀の髪に口付けた。
「其方の力になろう。それが答えだ」
 カヤには、レオの言う意味など、ちっともわからなかった。

2006/10/18