星集会からさっさと退散したキャンサーは、その後、星主が集まって情報交換のために公だが内密に集まるのだ、と聞かされた。
そしてそこに参加せず帰って来た若い星主を、宮の老使いたちは責めた。
ならば先に教えてくれていればいいと思うが、
(いや……)
もう、わかった。
やっと、わかったというべきか。
ここにいる星の使いたちは巨蟹宮の使いではあるが、キャンサーの新しい姫君に仕えているわけではないのだ、ということに。
――では、試されているのかもしれんぞ?
レオが見透かしたように言った言葉が何度もよみがえる。
三幕の最後にダンスパートナーとして結果的にはレオを選んだことを、老使いたちは評価していた。
それはレオ自身が言ったとおりだった。
なんとなくそれも面白くはなかったが、老使いたちの前では、そんなことも気にならなくなった。
つまり、最も力のある若い星主を、誘って落としたように言われたのだ。
自分のどこに色気仕掛けをする余裕があると言うのだろう。
星主を姫にしてよかった、と。
姫、というのは、彼女個人を指しているわけではないことくらい、すぐにわかった。
要するに、女の星主にしてよかった、と、そういうことだ。
力のある男の星主に近づけるから、と。
面白くなかった。
けれどそれはすべて、自らの無力が生み出す結果であり、今の自分にはそれしかなくて、この老使いたちの言うとおりにするしか、自分には進む道がないのだ。
たとえ、自分こそが最高位の星主であったとしても。
それは、キャンサーの星主が、自らの住まいである巨蟹宮に戻ってから、二日後のことだった。
大量の花が届いた。
レオの星主から、キャンサーの星主へ。
そのとても個人宛とは思えない、まさしく山のような花を前にして、キャンサーの姫は動揺したが、老使いはわざとらしく溜息をついた。
まるで、これらが届くのはわかっていたという態度の面々に、キャンサーの姫は尋ねた。
「この贈り物には、如何な意味があるのだ?」
すると一人の老使いが、良い質問だと頷いた。
「星集会にてダンスを踊った相手に、数日中に贈り物をするのは恒例です、カヤさま」
当然のように答えられる。
「ダンスの相手に……。では、こちらから返礼は?」
「これといって贈り物をする必要はありません」
「……そうか」
「ですが、お礼のお手紙などしたためられても、無作法ではありませんよ」
そう言って、意味ありげににやりと笑った。
それで、気づく。
レオの君に恋文の一つでも送ってはどうかと、そう、言っているのだと。
キャンサーの姫は答えず踵を返した。
花では価値もない、腹の足しにもならぬ、と冗談を交わしている老使いの会話を、それ以上聞きたくなかったからだ。
「姫さま、すべては無理ですが、姫の部屋にお運びしてよろしいかな。これだけあっては我々は花の香りにむせてしまう」
誰かの言葉に笑いがあがる。
……では、運び込まれたわたしの部屋はどうなるのだ、と思ったが、かまわずぞんざいに頷いた。
「ああ、好きなようにしてくれてかまわぬ」
「ではカヤさまのお部屋へ」
使いの者たちが好き放題言っているのに、カヤは背を向けた。
通常、真名も呼名も伏せられているべきものだが、傍家の娘はこの宮に連れてこられたときから、呼名で呼ばれていた。
両親からは呼名で呼ばれていたので、始めはすんなり受け入れていたのだが、勉強していくうちに知った。
高貴な者の名は伏せられ、知られてはならぬものなどだということを。
呼ばれることも、呼ぶことも、軽々しくしてはならぬものだということを。
けれど、この宮の者は、こう呼ぶ。
カヤさま、と。
それはカヤ、という傍家の娘のことを、軽視している証でもあった。
カヤは自室に戻ると、複数の若い娘たちがおかえりなさいませ、と衣装をつまんで挨拶した。
「ああ、ご苦労だね」
無愛想になりすぎないよう注意しつつ、けれどあまり親しくしてもいけないと気を配りつつ、労いの言葉を紡ぐ。
けれどカヤ付の使い……つまり侍女たちは、まるでうわさの主が現れた、という態度で、くすくす笑って退散する。
始めはその態度をどうとればいいのか戸惑ったり不安になったりしたものだが、最近はめっきり、開き直っている。
ここには。
自分の味方はいないのだ。
腹を括ってしまえば、ウワサも陰口も、耳に入らなければそれでいい、と思えるようになった。
ただ、わざと聞こえるように言われる言葉だけは、あえて無視する意外、手段はなかったけれど。
「まあ、すてき!」
扉の向こうで侍女の歓声が上がる。
居間のソファに身を沈めながら、なにかな、とぼんやり思う。
そして、早速花が届いたのだろうか、と考えた。
「姫さま! このお花、お部屋に並べればよろしゅうございますか?」
案の定すぐに花を抱えた侍女が飛び込んでくる。
「ああ。いいよ」
答えると、答えなど待っていなかったように、どんどん運び込まれてきた。
居間中に置かれ、隣の勉強部屋にも、反対の隣の寝室にも運び込まれていく。
もちろんテラスにもだ。
カヤに与えられている私室はこれだけだが、この広い私的空間では狭いんじゃないかと思わせるくらい、花は運び込まれていく。
「あー……、寝室には控えめにしてくれるとありがたいな」
思わず侍女に声をかけると、今まさに寝室に入って行こうとしていた侍女がむっとした。
まるで、キャンサーの姫を困らせるために贈られてきたんじゃないか、と思わせるほど、その花はあった。
いい加減部屋に運び込まれた頃、入り口でこれ以上は無理だとか押し問答しているのが聞こえる。
(……もしかして、嫌がらせ、とか……)
あのにやりと笑ったレオの君の顔を思い出して、カヤはかすかに眉をひそめた。
が、まあ、ここで腹を立ててもしかたがない。
次の星集会のときに顔をあわせる機会があったら文句の一つでも言ってやろう。
それくらいだった。
日が暮れて、侍女たちが下がっていく。
夕方から勉強部屋にこもっていたカヤは、花の香りの充満する部屋から解放されたくてテラスへと出た。
が、そこにも花が一杯で、苦笑する。
けれどテラスにもっと置けそうな気がするのに、部屋の中にたくさんあるのは、侍女たちの嫌がらせなのだろうか、それとも外に出しておいてはいけない花なのだろうか、とやや苦慮する。
ふいっと居間の窓も開けてみると、やはり香りが充満していた。
不安になって寝室に向かえば、言わずもがなである。
「やれやれ」
思わず声に出して呟いた。
レオの領地からここまで、どのくらいかけて運ばれてくるのだろう。
それでもこんなにみずみずしい花を咲かせているこの植物に罪はないと、カヤは……微笑んだ。
侍女がいないのをいいことに、いくらか丈の短いスカートに穿き替えて、侍女の控え室から前掛けを拝借した。
三部屋とテラスをもういちど見回して……色とりどりだと思っていた花だが、意外と白が多いということに気づいた。
そして黄色。あとは赤やら水色やらが、少し。
生産の都合か。あるいはレオの好みだろうか。
仮にも贈り物だから……カヤの好みを考えた、とか?
いや、彼がカヤの嗜好を知るはずはない。
では印象からだろうか。
カヤはキャンサーの姫。キャンサーのシンボルは、銀。
「では、黄色は金か?」
レオのシンボルは、金だ。
「……では、並べて置くのは遠慮したいな」
カヤは袖を捲り上げると、一人作業を始めた。
センスなく並べられた花を、並べ替えていく。
勉強部屋と寝室は、白の花だけを置いた。
数が多いというのもあるが、カヤ自身が、白い花が好きだったからだ。
居間には赤や水色、紫やピンクといった華やかなものを並べた。
黄色やオレンジはテラスに並べた。
出来上がった空間に、カヤはちょっぴり満足する。
久し振りに労働で汗をかいた気がして、気分は晴れやかだ。
侍女がやったことを自分でやり直した、というのも気分がいい理由かもしれない。
「だとすると、少しはレオに感謝したほうがいいか?」
くすり、と笑って、テラスにならぶ花を眺めた。
なんでもあまりに花が多くて、花瓶まで一緒に届けられたというのだから、馬鹿にしているという声も、まあ、頷けなくはなかった。
そんな花と一緒に届けられたのだろう、見慣れない花瓶に無造作に放り込まれただけの、小さな黄色い花を一瓶取り上げる。
「おまえは小さいな。レオに似ていないから、中に入れてやろう」
自分の言った言葉がおかしくて、くすくす笑いながら、カヤは部屋の中に戻った。
次に手紙が届いたのは、それからさらに七日後のことだった。
花の贈り物が届いたときとは、比べものにならない騒動となる。
「姫さま! カヤさま!」
老使いの一人が、カヤの姿を確認するやかっかっと近づいてきた。
「なんだ?」
騒ぎのもとがわからず、怪訝に見返す。
「先日のレオの君からの贈り物に、返礼の文書は送りましたか?」
当然のように言われて、愕然とした。
が、つとめて表情を変えず、切り返す。
「……それが、どうした?」
否とも諾とも答えず、先を促す。
数人の老使いらが、困惑した面持ちで顔を見合わせる。
彼らがカヤの前でこういう態度を取るのは珍しい。
まるで、自分たちの失敗に直面して、困惑しているような態度は。
「姫、この老にお教えなされ。レオの星主は、姫を気に入っておった様子か?」
「は?」
突拍子もないことを言われて、カヤは目を丸くする。
「それとも……このキャンサーを疎っておいでのようであったか?」
老使いの中でも最高齢の老が、真剣な様子でカヤにたずねる。
レオの星主の態度一つで、このキャンサーの安定はいとも容易く揺らぐのだ。
カヤだとて、キャンサーの星主になってから、それくらいは理解している。
「いや……わからないが。だが、キャンサーのことを疎ましく思っているかというと、そんなことは、ないと思うのだがな」
レオの君を思い出す。
ふざけたことをぬかした男だが、キャンサーや、その星主である自分を、貶めるようなことは言わなかった。
カヤ個人に対して以外は、とても紳士的だった。
少なくともそう記憶している。
「ではやはり、カヤさまをお気に召した、とか……?」
「だが、今すぐ姫をとられては、われらとしては困るぞ」
「いやさすがにレオでも、すぐということはあるまい?」
交わされる会話が、どうもレオの君と自分が絡んでいるようで、カヤはぎゅっと眉をしかめた。
「其方たち、何の話をしている? レオの君が如何にした?」
問えば、困った顔で振り向く重臣たち。
そして。
「レオの君が、カヤさまを、獅子宮にお招きしたいと使わしておいでです」
告げられた内容に、驚くとか怒るとか困惑するとか、言うならばどんなふうに見えただろうか。
カヤはただ、頭が痛い、と、ただそう思った。