丸一日かけて行われる星集会も、最後の三幕を迎えた。
粛々と執り行われた二幕から打って変わって、三幕は、いわば十二の宮の懇親会といったところか。
キャンサーは自分に与えられている自室、第四室の席室で、ぼんやりとホールを眺めていた。
中央は、広いホールになっており、その周辺をぐるりと十二の室が囲んでいる。
一つの室のなかに、星主の部屋である席室があり、それ以外に、一族の者が控える傍室がある。
今、キャンサーの傍室には、ほんの数人の供しかいなかった。
そして彼らが決して自分の味方ではないことを、キャンサーは充分承知していた。
ホールで、ダンスが始まる。
星主や、ほかにも名の知れた者らは声を掛け合う。
男性が跪き、女性にダンスを申し込む、作法に則った誘いの場面も見られる。
やがて音楽が始まり、くるくると踊る姿を、眺める。
ダンスは、一応習った。
踊る気など一切なかったが、万一の場合に恥をかくのは自分なので、最低限教わってはきたが。
そう、踊る気など、ないのだ。
軽やかなステップは、確かに頭には入っているが、あそこに混ざれといわれても、いささか自信はない。
そんな輪の中に、星集会の一幕早々に、自分に声をかけてきた男を見つける。
第一室アリエスの星主だ。
比較的輪の中心で、スレンダーな美女を伴って踊っているが、その相手の女性が誰なのか、今のキャンサーにはわからなかった。
――星主たるもの、まさか一度も踊らないわけにはいかないだろう?
キャンサーは思い出して、一人眉をしかめた。
そういうものなのだろうか。
だから一応、と宮の者はダンスを教えたのだろうか。
なのに、なぜ、踊らねばならないことは、教えなかった?
――では、試されているのかもしれんぞ?
そんなこと。
(……くそっ)
そんなこと、わかっている。
自分が、適任者が星主になるまでの間の、代替品だということくらい。
だが。
それでも。
かりそめであったとしても。
自分が、星主である間は、領地の問題は自分の肩にかかっているのだ。
舞を舞わねば天候に恵まれないだろう。
星集会に現れなければ、諍いが起こるだろう。
自分が笑われるのは、すなわち、キャンサーという領地が、そこに住む民が、すべて笑われることだ。
――では、俺を選べ。
(……くそっ!)
黄金の髪の男。
第五室レオの星主は、自信たっぷりに言い切った。
レオは、はるか歴代脈々と、最も安定した一族だ。
この積星宮でも一、二の力を持っている。
もし。
彼が言うとおり踊らないわけにはいかない、というのなら。
誰を選ぶか試されているというのなら。
確かに、レオを選ぶことは、賢明だといえるだろう。
……本人が言うとおり。
けれど逆に、それが罠だとも限らない。
キャンサーはホールを見渡した。
レオの姿は、ない。
踊るのが好きではないのだろうか。
それとも、権力者ゆえに、気安く誰ともは踊らない?
ならば。
なぜ、自分に声をかけた?
……わからないことばかりだった。
積星宮のことなど、なにもわからなかった。
音楽が終わる。
人が挨拶を交わす。
ダンスがすむと、挨拶の型があるらしくあちこちでかわされている。
なぜか、自分はそれを教わっていなくて、なぜだろうと思いながらじっとホールの女性たちを観察した。
そのとき、だった。
視界にその男が現れた。
黄金の髪を肩まで伸ばした、美しい男性。
この星々が集う積星宮で、まるで太陽のような輝きを放つ。
五室レオの星主。
ホールが少しざわめく。
それで、気づく。
彼の姿など、探さなくとも、いればすぐにわかるということに。
ホールに現れたレオは、幾人かと挨拶を交わすが、
談笑するわけでもなく、本当に礼儀的に挨拶をしているだけのように見えた。
そして。
こちらを向いた。
遠く離れていても、目が合ったような気がして、キャンサーは驚いた。
席室というのは、他の席室とはお互い中はまったく見えないけれど、ホールからなら、覗くことができた。
レオがこちらに向かって歩いてくる。
キャンサーはひそりと眉をひそめた。
レオの向かっている先に気づいたのか、人々がこちらを振り返りだす。
こんなふうに注目されるのは、面白くなかった。
けれど。
「姫。出ておいでなさい」
レオは、かまわず声をかけた。
ホールがまた、少しざわめく。
そして、静まり返った。
レオの言葉は、先の待ち伏せのときとは違って、一人の星主として、女性の星主に対して少しも礼に欠くことのない態度で、その一言にキャンサーは突っぱねるわけにも、怒鳴り返すわけにもいかず、むっとしてレオをにらみつけた。
向こうからだって、見えているのでは、と思う。
なぜならやつは笑ったのだ。
ほかの星主に挨拶するときの穏やかな微笑みではなく。
あの、にやり、という笑みを浮かべたのだ。
だから。
……だけど。
「初登門の日に緊張するのは、ここにいる者は皆知っている。大丈夫だから、出ておいでなさい」
まるで、優しそうに声をかける。
だまされるものか、と思う。
キャンサーの態度など気にしない素振りでレオは続ける。
「それに。約束しただろう、姫。わたしと一曲踊ってくださると」
ホールが、ざわめいた。
それがどういう意味なのか、キャンサーにはきっと本当の意味も理由もわからなかったけれど、ただ一つ言えるのは、これで出て行かないわけにはいかなくなった、ということだ。
キャンサーは、覚悟を決める想いで立ち上がった。
それを見たであろうレオが、またあの笑みを浮かべた。
そろり、と一歩踏み出す。
緊張、しているのだろうか。
いやむしろ、恐れているのかもしれない。
キャンサーは自らの心臓の音が耳元で響いているように感じられた。
そんなキャンサーのことをなんと思っているのか、
レオは見ているだけで腹が立つような優雅さで、四室の前に進み出た。
キャンサーが席室から一歩出れば、手が届く、そんな場所まで。
「ほら、早くしないと最後の音楽が始まるぞ」
未だ席室から最後の一歩を踏み出せないキャンサーに、レオが薄ら笑いを浮かべて催促する。
キャンサーは紗布を隔てた外界に、そこに立つ男に、
手を握り締めた。
負けるものか、と、思った。
えい、と勢いづけて、けれど粗雑な振る舞いにはならないように、片手で紗布を捲った。
ホールがまた、少しざわめいた。
けれどすぐに、また、静まり返る。
レオがすっと手を差し出すので、その動きを思わず目で追うと、
「出てきて手を取れ」
小さな声で、けれどきつい口調で言われた。
これが、きっとこの男の本来のものなのだろうと思った。
キャンサーは目の前の男を一度睨みつけて、それから……そっと自らの手を伸べた。
レオはキャンサーの手を取ると、さっと腰を落とし軽く手の甲に口付ける。
キャンサーはぎょっとしたが、レオはすぐに立ち上がってなんでもない顔をしているので、これも作法の一つだろうと、キャンサーも努めて普通の顔をした。
それから手を引かれ、ホールへと導かれた。
「其方……」
周囲がやっと自然なざわめきを取り戻してきたので、キャンサーは口を開いた。
「うん?」
レオが振り返る。
キャンサーは思わず溜息をついた。
「なんだ、浮かない顔だな」
「当然だろう。ところで其方、本当にわたしと踊るつもりか?」
キャンサーの疑問に、レオは一瞬目を瞠る。
「ほう? 貴様はここまできて踊らないつもりか」
「いや……その、なんだ……」
目をそらして俯く。
その顔を横から覗きこむようにレオが顔を近づける。
「ダンスは習っていないか?」
「あ、いや……基本的なことは教わった。だが、その、上手くはないぞ」
上目遣いで告げると、レオはくつくつと笑った。
「まあそれは仕方がない。奉納の舞を見ると、そう筋が悪いとも思わぬが……まあ今日のところは、一番簡単な曲を選んで正解だな。基本のステップを繰り返すだけの音楽だ」
「奉納の舞は、それこそ必死で……いや。えー、そうなのか」
思わず余計なことを口にしてしまった。
冷静に話を元に戻すが、レオは面白そうに笑う。
と、そのとき。
「おいおい。どういうことだよ、これは」
さほど剣呑な声色ではないが、確かに自分のほうに向けられた言葉にキャンサーは瞬時に視線を鋭くした。
「まあ見たままだな」
振り返ればそこに数少ない名前と顔が一致する男がいた。
一室アリエスの星主だ。
今日の星集会の一幕で、最初にキャンサーに声をかけた男。
「ひどいんじゃない、キャンサーのお姫さま。俺のときとえらく態度が違うじゃないの」
声をかけられても、キャンサーは返事をせず、その男を睨み返した。
それからつんと顔を背けて無視を貫く。
「へええ? なんだよ、レオ。随分飼いならしてるじゃないか」
「飼いならすだと! 貴様!」
むっとして言い返せば、アリエスはキャンサーではなくレオを見ていた。
それでますます腹が立つ。
まるで物か愛玩動物のような扱いではないか。
「貴様の態度が悪いからじゃないのか、アリエス」
レオはあまり態度を変化させず、冷めた調子で友人に返した。
「どこが。ありのままじゃないか」
「それが問題だというんだ。相手にあわせろ」
「ああん?」
そしてアリエスがキャンサーに視線を戻す。
キャンサーがそんな彼を睨み返したところで、不意に手を引かれた。
驚いてその相手、レオを見上げる。
が、この男もまた、キャンサーのことを見てはいなかった。
「おまえが言ったんじゃないか。こいつと俺が似ていると」
「言った言った。なに、自覚あり?」
「さてな。それで、俺だったら、初対面でおまえのような奴、無視するな」
レオはにやりと笑う。
アリエスがぺちんと自らの額を叩いた。
「あー、今すっごい納得したぜ、俺」
「だろう。甘いんだよ、貴様は」
「じゃあなに。紳士らしく淑女をおもてなししろって?」
「わかってるじゃないか」
二人の友人らの会話を聞きながら、キャンサーはむっとした。
今自分の手を掴んだまま離さないこの男の、初対面の態度はどうだった?
「おい、そろそろラスト・ダンスだぞ。貴様、相手をほってるんじゃないのか」
「残念ながら最後はお相手がいなかったのさ」
「ほお、珍しいな」
「仕方ないからそっちのお姫さまでも眺めてるよ」
「ふ……それはそれは。だ、そうだぞ、キャンサー。まあお手柔らかに頼もうか」
ふざけた調子で言って、友人を片手で追っ払う。
「……いつまでそうしている。離せ」
二人になるとすぐに、キャンサーは言って自らの手を引っ込めようとした。
けれどレオは手を離さなかった。
「馬鹿者。ダンスのパートナーをほっとく男があるか」
「それらしく言うな。だいたい貴様、言ってることとやってることが必ずしも一致しないぞ」
言えばレオは面白そうにキャンサーの顔を覗きこんだ。
「ほう? なにがだ?」
そんな顔を睨み返す。
「だいたい初対面からしてそうだろう」
「そうか? 俺はちゃんと礼を払ったぞ」
「ぬけぬけと」
そのときざわりとホールに変化が現れた。
慣れていないキャンサーはなんだ、と視線鋭く周囲を見回す。
「そう怖い顔をするな。あそこだ」
レオが苦笑のような笑みを浮かべ、そっとある一角を指差した。
キャンサーが視線をやると、いままで誰もいなかったそこに、奥から楽団が現れているところだった。
「一曲終わるごとに彼らは退がる。こうして出てきたからもうすぐ次の音楽ということだ。見てみろ」
そしてホールの中心を見るよう促す。
そっと従えば、あちこちで男性が跪き、女性の手にキスを贈っている。
「其方にももう一度申し込んだほうが良いか」
「……そうしたほうが良い理由がわたしにはわからぬ」
思ったまま答えた自分の声が、なんだか拗ねているようで、失敗したかと思ったが、レオはふっと笑っただけだった。
と思ったところで、不意に腰に手を回された。
「……っ!」
思いっきり息を吸い込む。
キャンサーの反応に、レオは笑うより、驚いたようだ。
「そんなに驚くな」
「驚くさ! 気安く触るな!」
「触れねば踊れまい?」
「……」
悔し気に顔をしかめるキャンサーにレオは囁きかける。
「大丈夫だ。ちゃんとリードしてやるから。おまえは俺に合わせていればいい」
だまされるものか、と思った。
優しい言葉などに。
そんなものに浮かれるような、そんな自分ではなかった。
それだけの価値が自分にあるとは、思えなかった。
でもレオは、まるでそれすらもわかっているように。
引き寄せても拒絶するキャンサーの耳元で、大丈夫だ、と、幾度となく囁いた。
だまされるものか、と思った。
静かに、音楽が始まる。