後ろを自分の侍女ヴェスタと、一姉から借りたケレスがついてくる。
どうもそのケレスに喧嘩を売っているようにしか見えないキャンサーの金の姫が、レオの君の腕にくっついて歩いていた。
執政宮を出ると獅子宮でもはずれと言えるほうへと歩き出す。
「レオの君、今度はどちらへ行かれますの?」
腕に絡みついたまま金の姫君が尋ねてくる。
これから向かう先は深窓の姫君では立ち入らないだろう場所だ。
ほかの建物が塔であるのに対し、そこだけは高くない、そして逆に平たくて長い、変わったつくりをしている。
近づくにつれ、宮とは異なる匂いが漂ってくる。
金の姫君は、むっとして袖を顔にやった。
「な、なんですの、ここは」
「騎士たちの詰め所ですよ」
「騎士の方々はこんな臭いところにおいでなの?」
臭い、とはっきり口にして、自らのはしたなさに気付いたのか、キャンサーの金の姫はむっと口をつぐんだ。
「ええ、そうですよ。厩舎がありますからね。訓練所もあります」
今におってくるのは厩舎の臭いだが、訓練所はまた別の、汗臭さがある。
きらびやかな甲冑をまとって整列しているのが騎士の仕事ではない。
レオの君もここで騎士に混じって訓練してきたが、そういえば最近は舞い以外であまり剣を振っていないな、と思った。
厩舎の前を通り過ぎ、周囲の中では一番いかめしい造りの扉に手を伸ばし、来訪の合図もせずにいきなり引き開けた。
中からは、人のいる熱気や野太い声が飛び交っていた。
誰かの気合の咆哮に、腕に絡み付いていた金の姫君がびくっとすくみ上がる。
けれどレオの君はもちろんそんなことにはかまわない。
金の姫君から腕を引き抜くと、室温が確実に一度か二度は高そうな屋内へと足を踏み入れる。
「これは主さま!」
気付いた誰かの一声に、各々剣を振るっていた喧騒が一瞬でぴたり、と静かになった。
ざっと足を踏み鳴らす音がして、おそらく二十人かそれ以上いた騎士と見習いが、一声にレオの君に向いた。
レオの君たるもの、恐れるはずもないが、そんな人々の視線の中を堂々と歩く。
その視線の先には。
「お勤めご苦労様です、姉上」
極上の笑みをたたえたレオは、琥珀色のワインのよう。
対して答えたのは、熟成した深紅のぶどう酒のような二姉だった。
「これは主殿。銀の姫を三姫に盗られて、暇をもてあましておいでかな?」
簡易の甲冑を身にまとった長身の姫君が、うっすら笑って弟をからかった。
「これは手厳しい。ま、事実ですが」
ひょいと肩をすくめて苦笑する。
二姫は、訓練用の刃のない剣を掲げて、至高の主に言った。
「せっかく来られたのだから、一戦剣を交えて参られるか?」
「いいですね」
答えるなり早速上着に手をかけるレオ。
中に入って来れずにいた金の姫が、二姫を見てぽかんとしていたのに続き、剣を交えると聞いて悲鳴を上げたなど、レオには関係のないことだった。
ヴェスタが急いで駆け寄って簡易礼服を受け取ると、騎士見習いの若者が胸当てを持って近寄った。
従者の手も借りずにレオの主が一人でそれを装着している間、二姫は周囲をくるりと見渡して、なにやら考え事の様子。
が、決めた、と呟いた。
二姫はレオの君ではないほうをひたと見て、唇を開いた。
「カガリ」
名を呼ばわる姉の視線を追いかけてレオは振り返り、けれど知らない名前の人物は案外たやすく見分けられた。
驚いて目をやや見開いている、そして周囲から遠慮気味に注目されている彼がそうだろう。
「其方を指名する。主殿のお相手をせよ」
至高の星主の姉であり、騎士団の筆頭騎士でもある二姫の宣言に、彼は一瞬口をぱくりと動かした。
が、すぐに引き締め敬礼し、はっ、と小気味良い返事を返す。
どちらかというと小柄な少年だ。
「よ、よろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそ」
身に纏っているものから、新米騎士であると読み取ったレオは、軽い調子で剣を構えた。
が、相手はぎくりとしてそれから……真剣な顔に切り替わる。
どうやらレオの君の技量に気付いたらしい少年は、おそらくつまり、そんなに見込みが悪くはない、ということだろう。
レオは内心満足する。
「来い」
命じる。
さすれば相手は、出ないわけにはいかない。
たん、と床を蹴る靴音さえも耳にできるほど、その場は静まり返っていた。
誰もが息を呑む。
誰もが、レオの星主の一挙一動に注目する。
少年騎士に一打目を、レオの君はほぼ動かずに受け止めた。
そして……少年は躊躇った。
どう、すればいいのか。
「打ち込め」
その逡巡を読み取って、レオが自ら叱咤する。
はっとした少年が再び切り込む。
受け止める。
それを、繰り返す。
次第に剣先の軌道が鋭くなっていく。
それは誰の目にも明らかだった。
少なくとも、騎士と騎士見習いの眼からすれば。
やがて息の上がってきた少年に、レオは隙を突いて一振りの反撃。
それで、この打ち合いは終了した。
「あ、ありがとうございました」
少年騎士の息が上がっているのは、なにも体力的な問題ではない。
これまでに感じたことのない緊張。
目の前にいるのは至高の星主。
憧れのレオの君。
責めるものはいないだろう。
「なるほど姉上、面白いものをありがとうございます」
「気に入っていただけなら我にとっても光栄」
二姫は言葉通り満足げに頷く。
見習いに合図をして、レオの君から剣と胸当てを受け取らせる。
「見学して行かれるか? いや、あまりお時間はなかったのであったな」
「そうお思いですか?」
「そうじゃろ。姫君にお会いするならその汗を洗い流してからにせねばならんしのう」
「……そうですね」
二姉の言葉にレオは納得し、それではと軽く挨拶を交わす。
騎士たちが再び整列するがごとく見送るが、当然のことながらレオにはたいしたことではなく、その間を悠々と歩いて立ち去った。
「ヴェスタ、時間は?」
歩きながら自分付きの侍女に訊ねる。
「そろそろお戻りになられるのがよろしいかと。お湯の用意をいたします」
「そうだな」
一見ぶらりと歩いているようだが、レオの君の足運びはとても速い。
ヴェスタも、そして一姫に借りているケレスも、優雅そうに見えて実はのんびり歩いているわけではない。
それに比べて生粋のお姫様であるキャンサーの金の姫君は、その速さについていけるはずがなかった。
さっさと歩いていってしまうレオの君のその侍女たちに遅れをとり、かといって自分にかまってもくれない。
待って、と呼び止めるのもまた矜持に反する。
金の姫がそんな地団駄を踏んでいようと、これもまた、レオの君には関係のないことなのだった。