ホール全体に、ざわめきが漣のように広がった。
それから大半の者がこそこそと自らの室へと引き上げる。
それすらも、引いていく波のようだった。
「へえ……」
ざわめきの原因となった人物は、そんな現象を、面白い、と思った。
この積星宮でこんなことが起こるなんて珍しい。
その一端を自分が担っているなんて、この上なく愉快じゃないか?
「断るって? あんた、そういったの? 本当に?」
口許に笑みが浮かんでいるのは自覚しているし、きっと相手にもわかっているだろう。
けれど相手は……彼女はちらとも笑わない。
笑えば艶やかだろうと思うような、美人なんだが。
「二度は言わない。言わずとも理解できたんだろう。
それとももう一度言わないとわからないほどの馬鹿者か、貴様は」
低めの声が凛と響く。
この女は、今日が初登門の新しい星主だ。
先代のごたごたを引き継がないように、傍流の娘が選ばれたと聞いている。
だから誰もが興味津々なのだ。
新しい巨蟹宮の星主がどんなやつなのか。
だが……これでは。
(まずいんじゃないの?)
思ったが、それを告げて素直に態度を改めるような女ではなさそうだ。
ひょい、とわざとらしく肩をすくめる。
「あんた、わかってる? そこは星宮の席室だから他所から姿は見えないけど、
ここは声だけは響くんだぜ?」
「それがどうした」
こいつはダメだ、と思った。
意地を張っているというよりは、本気でそう思っているらしい。
「ああ、もう、わかったよ。俺が出直しますって。
せいぜい頑張りなよ、キャンサーのお姫様」
言い捨てて、アリエスは背を向けた。
星集会のまだ一幕だというのに、ホールはしんと静まり返っていた。
これだけ白けた一幕というのは、久し振りだったが、
アリエスはそんなに不愉快でもなかった。
続く二幕は、十二人の星主が、それぞれの灯を消さないように積星宮の最上室に参室する儀式だ。
第一室のアリエスはいつものように一番にホールを出て、星の階に向かい……。
「アリエス」
ほかのやつと会うはずのない通路で、アリエスは名を呼ばれた。
不審に思ったのは最初の一瞬で、すぐにアリエスは声の主の姿を探す。
「レオ? どこにいんの?」
「ここだ」
少し前方の柱の影から、見知った男が顔を出す。
レオは、嫌味なくらい金色でさらさらの髪を肩まで伸ばした、一見美青年だが、これが見た目を裏切る口の悪い男だ。
「貴様、派手にやられたな」
にやりと口許に笑みを浮かべて、見下ろすように嘲るように、近寄ってくる。
アリエスはひょいと肩をすくめた。
「派手? まあ、そうかもね」
「ふん、懲りてないな、貴様」
何の話題かなんて、いちいち言わなくても通じる。
すぐに応じてからふと、アリエスは気づいた。
「ははん、わかった。どうしてあの女があんま嫌じゃないのか」
「……どうせ見た目が貴様の好みだったんじゃないのか」
「あーそれもあるね。結構美人だったよ、睨んだところがいい感じ?」
レオの突っ込みにさらりと返せば、呆れたふうに鼻で笑う。
「じゃ、なくて。似てんだよ、あいつ! あんたに!」
「あん?」
正直、つんつんしたやつは嫌いじゃない。
なんかそれが強がっているみたいに見えるやつならなおさらだ。
だから、自分はレオと友人なのだといっても過言じゃない。
「いや、ほら。美人で、髪がキレイで、なんか怒ってて……」
「見た目はどうでもいいし、それになんか怒ってるっていうのが似たうちに入るか、馬鹿者」
「あ、その口調だ! 貴様とか馬鹿者とか」
「貴様……ふん」
やつの口癖を、彼女も女の癖に使っていた。
だから……印象が似ている。
だから、嫌いじゃない。
ということは逆に、世間からの評価も似るということだけど。
「そんで? わざわざこんなところまで来たのは、何の用?」
レオは第五室の星主だから、ここに来るには早すぎる。
「別に。それだけだ」
「それだけって、なに……え、キャンサーのこと聞きに来ただけ?」
「そうだ」
「へー、あんたにしては珍しいね」
「……そうか? だが星主のくせに、ほかの星主からのダンスの誘いを断るなんて、どんな馬鹿かと思っただけさ」
まあ、確かにそれは目立つが。
星集会は親睦交流が一つの目的でもあるから、わざわざ揉め事を起こすやつは、普通はあまり、いない。
「んなこと言って。あんただってよく断るじゃん」
「俺にだって相手を選ぶ権利があるだろうが。女なら誰でもいいわけじゃない」
「言うねえ、選び放題のやつは」
「貴様は手を出しすぎなんだ。で、選んでもらえなかったとは笑い種だな」
「手ぇだしてんじゃねえよ、声かけてるだけ。他人が誤解しそうな言い方しないで欲しいね」
「変わらないだろ、貴様の場合」
言いながら、アリエスはレオを通り過ぎる。
レオはアリエスを追ってこない。
「そんじゃ、ま、俺行くわ。なんか進展があったら教えて差し上げるよ」
「ふん、貴様に進展があったらな」
そしてアリエスは階に向かう。
ここからは一人だ。
これからこの最上室に向かい、そこに灯されている灯の前で、舞を奉納する。
レオが好きだと言ってくれる自分の舞を、ちゃんと自室で見られるように、
アリエスは少しゆっくり階を登った。